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環境文化 30年目の答え合わせ

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  1990 年に鹿児島県が屋久島環境文化村構想を公表した際、環境文化という表現は、政策用語としては、おそらく使われていなかった。爾来、どういう意味か多くの議論を呼んだ。そんな中で、 1993 年に屋久島環境文化村マスタープランが策定され、鹿児島大学では 2008 年に小野寺学長補佐(当時)が鹿児島環境学プロジェクトを立ち上げ、関連する事業や調査研究が進められている。また、国は、 2017 年に奄美を国内初の環境文化型国立公園に指定した。  生成 AI の進歩は、文字どおり日進月歩で、追いついていけないところがあるが、仮説を組み立てて問いかけると、考え方を見事に整理・体系化してくれる。久しぶりに「環境文化」について、 1990 年を境に、その意味・意義が大きく変化していったのではないかという仮説を立てて問いかけた。  生成 AI が出したキーワードを、ジグゾーパズルのように当てはめてみると、一つの体系図が現れた。当初、学術的概念であったものが、近年では、「持続可能な社会を構築するうえで不可欠な概念」にまで進化している。小野寺先生は、何とおっしゃるだろうか。「まだ、甘いな」か?                           屋久島環境文化財団評議員  岩田治郎

気の置けない面々の祝賀会

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 昨年 11 月、小野寺浩屋久島環境文化財団理事長が第 74 回南日本文化賞を受賞された。鹿児島大学鹿児島環境学研究会の生みの親であり、環境庁時代から自然環境保全と調和した地域づくりを目指してこられた。今回の受賞は屋久島、奄美の世界自然遺産登録や自然共生的地域づくりへの長年の貢献が評価された。 研究会設立当時のメンバーが中心となって、 12 月 18 日、主賓の来鹿を機に天文館のホテルで祝賀会を開いた。財団関係者を含めて総勢 20 名になった。一つの狙いがあった。形式的な「ご挨拶」ではなく、参加者全員の気取らない 2 分間スピーチをお願いした。気の置けない面々で、期待どおり主賓に敬意を払いつつも突っ込みも交えた話もあり盛り上がった。また、釧路、東京、奄美からの懐かしい方々のメッセージ動画と思い出の写真スライドショーも会を盛り上げた。思いがけず東京キー局のニュースキャスターからのメッセージは「もっと前面に出て!」だった。あまみFMの F 君のヒットだ。 主賓の鹿児島県環境政策課長時代、鹿児島大学学長補佐・客員教授時代、そして屋久島環境文化財団理事長以降の 3 期に分けて業績年表を作成した。自然共生的地域づくりの姿勢が貫かれ、主要な業績はエポックメイキングになっている。また出版や映像で理解者を広げる努力も続けられている。私はほとんどの業績にコミットさせていただいたことに改めて感謝した。 関係者全員の祝意で満ちた会であったことは言うまでもない。「祝賀会は?」とメールしてきてくれた N さん、記念品に薩摩ボタンをプロデュースしてくれた F さんに御礼を言いたい。主賓からは、翌日ホテルから投函した?葉書に「世話になった。ありがとう。鹿児島にて」とあった。                                                   (屋久島環境文化財団評議員 岩田治郎  2024.1.16 )

君たちはどう生きるか・地球儀・屋久島

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 「君たちはどう生きるか」10年ぶりの宮崎駿監督作品が7月14日に公開された。公開直後、混雑を避けようと平日に館に行ったが、鹿児島市で観客が100人を超す情景を初めて見た。   作品名は作者が幼い頃母親から渡された小説の名からつけたらしいが、物語の展開や映像は宮崎ワールドが広がっている。主人公の少年を通じてどう生きるか問いかけていた。エンドロールで流れた米津玄師作曲の主題歌「地球儀」の「何度でも描き続ける、地球儀を回すように」のフレーズが残った。そんな時、研究会メンバーのNさんから、この主題歌のミュージックビデオ(MV)が屋久島で撮影され若者の間で評判になっているとのメールが届いた。(https://youtu.be/VUsURj_OYdA)    米津玄師が屋久島の風景をバックに熱唱している。スギ林、苔、しずく、新芽、滝の水しぶき、サル、シカ、トンボ、チョウ、サギ、ススキ草原、ヒマワリ畑、1枚岩の川床、海岸段丘、波音、青空など里山から海岸部にかけての身近な風景が淡々と全編に広がっていた。主題歌のイメージに沿ったのであろうが、屋久島の切り取り方がとても新鮮に映った。懐かしくもあった。私はいつの間にか世界遺産バイアスのかかった風景しか見ていなかったのかもしれない。MVの監督は奥山大史氏で、1996年東京生、「僕はイエス様が嫌い」でサンセバスチャン国際映画祭最優秀新人賞を受賞。MVはほかにパプリカ(Foorin)、カナリヤ(米津玄師)、創造(星野源)などとある。屋久島観を聞いてみたくなった。 「君たちはどう生きるか」パンフレット、 MV 地球儀より          屋久島環境文化財団評議員 岩田治郎  2023.8.31

ChatGPTは「環境文化」をかく語りき。

最近、ChatGPTが世間を騒がせている。先日、O教授からChatGPTの「環境文化とは何ですか?」との問いに対する解が送られてきた。5月20日と24日の2日分があった。進化するらしい。5月24日バージョンを紹介する。   「環境文化とは、自然環境や人間の文化・社会との相互作用に焦点を当てた概念です。環境と文化は密接に結びついており、人間の行動や価値観、伝統、信仰体系などが環境に影響を与え、逆に環境が人間の文化に影響を与える関係にあります。 環境文化は、人々が特定の地域や共同体において継承してきた知識、技術、習慣、芸術、祭り、神話などの要素から成り立っています。これらは、地域の自然環境や生態系との調和や依存関係を反映しています。例えば、特定の地域の民族集団が伝統的な農業方法を実践し、その地域の生態系と調和しながら環境を利用してきた場合、それはその地域の環境文化の一部と言えます。 環境文化は、持続可能な開発や環境保護の観点からも重要です。伝統的な知識や文化的な実践は、持続可能な資源管理や環境保護のための貴重な情報源となり得ます。また、環境に対する文化的なつながりや意識は、人々の環境への関与や保護活動に影響を与えることがあります。 環境文化は、文化多様性や生物多様性とも関連しています。地球上の異なる地域や文化圏では、環境への価値観や取り組み方が異なることがあります。環境文化の保護や促進は、地域の文化的な多様性や生物多様性の維持にも寄与することができます。  環境文化は、人間と自然環境のつながりを深め、持続可能な未来を築くために重要な概念です。環境問題や文化の変化に対応しながら、環境と文化の相互作用を理解し、保護と継承を促進することが求められています。」   「環境文化」を幅広い視点から丁寧に説いている。ChatGPTは関連するデータが多ければ多いほど精度は高くなる。行政文書や研究報告、書籍、新聞記事、電波媒体等で、いかに数多く語られてきたかという証左でもある。「環境文化」は、1990年、鹿児島県の「屋久島環境文化村構想」の中で「人間の活動と環境のかかわりや自然の恵み」という概念から始まった。以後、行政目標や研究テーマとして取り上げられ、30数年を経て、「持続可能な未来を築くために重要な概念」にまで成熟したことは感慨深い。ただ、査読が必要なことは言うまでもない。...

なぜ、今、「屋久島 知の巨人たち」なのか。

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 11月21日付け毎日新聞の看板コラム「余録」に、「25年前、日本で脳死臓器移植ができるようになった・・」(※1)と題するコラムが掲載された。このコラムに引用されたのが、今年6月に、屋久島環境文化財団監修のもとに発刊された「屋久島 知の巨人たち」(※2)だった。30年前の屋久島環境文化懇談会主要メンバー10人の千字コメント(当時)と屋久島に思いを寄せる現代4人の方々のコメントを中心に、写真集及び参考資料で構成されたムック本である。その中で、懇談会メンバーの梅原猛氏(哲学者)と井形昭弘氏(鹿児島大学長、当時)の脳死臨調でのエピソードも紹介されている。このコラムは、梅原猛氏の言葉「共生と循環」で締めくくられていた。それは同時に、なぜ、今、「屋久島 知の巨人たち」なのかの答えにほかならない。発刊に関わった一人として「伝わっている」を実感してうれしかった。 (※1)25年前、日本で脳死臓器移植ができるようになった 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20221121/ddm/001/070/119000c (※2)「屋久島 知の巨人たち」 屋久島 知の巨人たち | 養老 孟司, C.W.ニコル, 兼高 かおる, 梅原 猛, 大井 道夫, 福井 謙一, 上山 春平, 山極 壽一, 白幡 洋三郎, 土屋 佳照, 沼田 眞, 中村 利雄, 下河辺 淳, 井形 昭弘, 小野寺 浩, 屋久島環境文化財団, 国本 真治, 羽鳥 好美, 加戸 昭太郎 |本 | 通販 | Amazon (屋久島環境文化財団評議員 岩田治郎)

照葉樹の森、一夜限りのレストラン

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  先日(10月22日)、錦江町が鹿児島出身で大阪やパリにフレンチレストランを持つオーナーシェフと組んで「星空のレストランin花瀬」を開いた。同町の背後地、稲尾岳・木場岳一帯はシイ類、カシ類、クスノキなどが分布する西日本最大級の照葉樹森帯が広がっており、自然環境保全地域、天然記念物、森林生態系保護地域に指定されている。同町はこの照葉樹の森を活かした地域づくりに取り組んでおり、今回その一環として、照葉樹林の麓を流れる花瀬川の川床に広がる千畳敷の石畳(花瀬公園)に一夜限りのフレンチレストランが生まれた。  景勝地散策のあと食事。アミューズ、冷・温のオードブル、スープ、魚料理、口直しのシャーベット、肉料理そしてデザート、紅茶コーヒーのコースであった。食材には錦江町産の秋茄子、マンゴー、椎茸、安納芋、キクラゲのほか地野菜。肉は錦江町特産の舞桜豚と鶏、魚は錦江湾産のヒラマサとカンパチなどを使い、とても上品な料理になっていた。さらに地元のブドウ農園で作られた花瀬ワイン、焼酎(魔王)、最後に地元産の深蒸し茶と団子もふるまわれた。  本物の自然、本物の食材そして本物の料理が揃ったことで参加者は圧倒された。一人3万円の料金は決して安くはないが、県外からの参加はもとより、キャンセル待ちが出たというのもうなずけた。以前、鹿児島県観光のキャッチコピーが「本物。(マル)鹿児島」であったことを思い出した。地域にある多様な本物素材にどのような付加価値や物語性を付けて他者との持続可能な交流を図り地域おこしに繋げていくのか。錦江町長は来年も開きたいと言っておられた。試みは続く。 岩田治郎  2019.11.12 「星空のレストランin花瀬」(錦江町)

兼高かおるさんと屋久島

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   この1月初旬に逝去のニュースが流れた。今更紹介するまでもないが、約30年にわたりTV番組「兼高かおる世界の旅」を続けられた旅行ジャーナリストである。  兼高さんは、県が設置した屋久島環境文化懇談会(1991~1992)で、梅原猛氏やCWニコル氏などともに、とても発信力のある委員の一人であった。この懇談会は、わが国初の世界自然遺産登録の提案を行うなどその後の国の自然環境保全政策に少なからず影響を与えた。彼女は、西洋の「金の卵を産むガチョウ」の話を引用して、「金の卵を産むからと言っておなかから卵を取ろうとガチョウを殺してはすべてを失う。屋久島の杉は金の卵だ」と力説された。  縄文杉登山にも挑戦された。1回目は悪天候で途中引き返したが、その後再挑戦し成就した。当時、縄文杉の根元の砂流出を補うために、小杉谷から登山者が一人ずつ砂を運ぶ「生命の砂一握り運動」(1992~1994)を行っており、喜んで参加された。この縄文杉登山については寄稿されている。「この島は神々の住居」と称し、「古代から世界のあちこちで、大木を神に例えたり、畏れ敬う風習があるが、屋久島でも巨木に斧を入れる前に木魂(こだま)様にお祈りをした。大木はなぜか子供には親しい遊び相手だが、成人には畏敬を感じさせる気品がある。この神々の聖地はどの木にも私たちの行動を見ているようで、謙虚にならざるを得なかった。」さらに縄文杉の根の傷みを残念がられ、「島の人は、この島に住む誇りを、島を訪れる人は、この島がかけがえのない世界の宝であることを念頭に置いて行動してもらいたい。」と結んでいる。紀行文としても素晴らしい。まもなく縄文杉周辺の立入禁止措置(1994)や展望デッキの設置(1996)など樹勢回復対策が始まった。  来鹿の際は、お世話役として常に同行したが、無理もきいてくれる兼高さんの懐の深さにはとても助けられた。気さくで年賀状も太平洋上からということもあった。ご冥福を祈ります。 岩田治郎  2019.2.1

Penaeus japonicus

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  初任地は鹿児島県水産試験場調査部で、漁場の水質監視や水質管理を担当した。当時、県は大型陸上タンクによるクルマエビ養殖の技術開発に取り組んでおり、少し関わった。45年も前の話である。近年、クルマエビ 科の分類が細分化されたらしく、学名は、Penaeus japonicus からMarsupenaeus  japonicus となっていた。  クルマエビは夜行性で、日没後タンクの底の砂床から出てくる。そのタイミングで人工飼料を投餌する。タンクは二重底になっていて、海水は砂床(約10㎝)を抜けて外に出ていく。残餌による砂床の悪化(還元層形成)や摂餌行動に伴う海水中の溶存酸素濃度の低下(酸欠)が水質管理上の課題となっていた。要するに、餌のやり過ぎは、経営的にも水質管理上も不利になることから、最適の条件を探ることが研究テーマとなった。当時、フィールドは、知覧町(現南九州市)南別府の民間のクルマエビ養殖場で、毎週通っていた時期もあった。何せ、夜行性なので水質分析も夜通しなのである。  最近、新橋にクルマエビ料理専門店ができた。知覧町の養殖場を経営する会社が出した店で、毎日、生きエビを直送しているらしい。3年暮らした東京を離れる前に必ず行こうと思っていたし、久しぶりに堪能した。45年前の仲間と再会したような気がした。  養殖生産量は、全国で1,300トン(2016)、最盛期3,000トン(1988)の半分以下になったものの、鹿児島県は沖縄県に次いで第2位を維持している。かつて県が進めた漁業振興策は一定の成果を収めていることが嬉しかった。  Penaeus japonicusは焼酎で生き締めし、殻をむいて食べるのが一番だ。フィールドでの、たまの楽しみだった。 岩田治郎  2018.7.10

風天の寅さん

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  「男はつらいよ」の主役は、言わずと知れた渥美清。フーテンの寅さんだ。彼は「風天」の号で俳句を詠んでいる。「風天 渥美清のうた」(大空出版、2008)は、彼の残した俳句を丹念に掘り起こし、「アエラ句会」など4句会で詠まれた231句を掲載している。 「お遍路が 一列に行く 虹の中」  66才の時の句で、風天俳句の代表作と言われている。彼の死後4年目の2000年に発行された講談社「カラー版新日本大歳時記」春の巻に、季語「遍路」の例句として、高浜虚子など名だたる俳人の句と並んで掲載されたとのこと。相当のことらしい。  この句の解説には、「遍路は四国八十八か所の霊場を巡行すること。弘法大師への深い信仰から出た行事で三月から五月中ごろまでつづく春の行事。同行二人の笠に金剛杖、数珠、鈴などを持ち白木の納札箱を胸に寺々を巡る。その遍路が長い列をなして虹の輪の真ん中を行くのである。下五の「虹の中」が美しい。風天俳句の秀句。「遍路」は春、「虹」は夏。」とある。  思い立って柴又帝釈天に行った。30数年振り、日曜日で混雑していた。映画は、ほぼ全部見ていて、その世界がそのまま残っているせいか、安心感があった。   「男はつらいよ」の最終作は、浅丘ルリ子(リリー)がマドンナで奄美大島が舞台だった。  渥美清は山頭火に傾倒していたという話もあるが、先の231句の中に、奄美を詠んだ句は見つからなかった。奄美に彼の句が落ちていないだろうか・・。 岩田治郎  2017.6.19

地域地球温暖化防止活動集

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  気ぜわしく、急ぎ足で時は過ぎる。飾り気のない執務室で2回目の正月を迎えた。  現在、全国に58か所の地域地球温暖化防止活動推進センターがあり、地域の活動拠点として様々な事業に取り組んでいる。昨年末、すべての地域センターの活動をわかりやすくまとめた活動集を作成した。全国各地の特徴的な事業やキーパーソンを紹介し、活動の幅広さを示すことができた。  実はこの活動集には、もう一つのねらいがあった。活動状況を可能な限り定量的に示すことだ。平成27年度ベースで、すべての地域センターの集計結果として、研修会等への参加者などの動員数が延べ約300万人。連携した団体数が延べ約1万団体。地球温暖化防止活動推進員の活動件数が延べ約15000件などとなった。活動による広がりを具体的に示すことができたのは大きな成果だった。  昨年、環境省の委託事業の中で、研修会等に参加した人は、1年間に0.14tのCO2を削減したと見なすことができるという試算を行った。この原単位に動員数300万人を掛けた「みなしCO2削減量」は約42万tと推計された。冒険的ではあったが、この数値も活動集に掲載した。  近年、普及啓発事業といえどもCO2削減効果を厳しく求められるため、毎年、定量的評価を行うことになるが、疑問は残る。5年ぐらいのスパンで波及効果など定性的評価も含めた総合評価を行いながら、国民の意識に確実に根付かせ低炭素行動に結びつけていくという普及啓発の本質からは、ずれていかないだろうか。気ぜわしく急ぎ足過ぎる。  初めてだったこともあり、活動集は好評で増刷した。 一般社団法人地球温暖化防止全国ネット専務理事 岩田治郎  2017.1.10

神楽坂・化け猫フェスティバル

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 神楽坂は、乃木坂・乃木神社、門前仲町・富岡八幡宮、護国寺、谷中銀座・夕やけだんだんとともに、東京の猫(野良猫)スポットになっている。「吾輩は猫である」で知られる夏目漱石のゆかりの地らしい。そこの商店街によって2010年から「化け猫フェスティバル」が開かれている。パンフレットには、「江戸時代から花街として文化を支え、猫と縁の深い街として猫好きの人にも猫にも愛されてきた。猫の街ならではのお祭りをという声から生まれたイベントとして、街と街の人、そして街に来る人、三位一体のまちおこしを目指しています。」とある。今年も10月16日に開催され、午後2時から化け猫パレードがあった。猫化粧した人々で道路はあふれかえっていた。子供、家族連れのほか若い女性も多い。外国人も目に付いた。  先日、NHKのニュースで小笠原のノネコ問題を取り上げていた。絶滅危惧種のアカガシラカラスバトはノネコの格好の獲物で一時期は激減したが、ノネコを捕獲し本土に送って順化後、飼い主探しを行う対策を進めた結果、被害が少なくなったとのこと。500匹以上のノネコが飼い猫になったらしい。飼い猫→野良猫→ノネコの経路を辿るので、環境が整えば効果的な対策である。一昨年、奄美大島生物多様性地域戦略の策定に関わったが、ノネコ対策は重点施策の一つとして位置付けられた。奄美大島5市町村が一体となって飼い猫適正管理条例を制定して対策に取り組まれている。詰まる所、住民に対する猫の飼い方教育しかないのである。鹿児島環境学研究会が進める社会科学的観点からの取組にも大いに期待している。  人と猫のほどよい共存はあるはずで、化け猫フェスティバルはその一端を示しているのではないか。猫が街おこしに一役買っているのである。 一般社団法人地球温暖化防止全国ネット専務理事 岩田治郎  2016.10.24

ルノワールの時代と地球温暖化

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ルノワールの時代展(名古屋ボストン美術館)     先日、たまたま泊まったホテルの向かいに名古屋ボストン美術館があった。「ルノワール の時代-近代ヨーロッパの光と影-」展をやっていた。目玉の作品はルノワールの「ブージヴァルのダンス」(1883)である。パンフレットには「ルノワールが生きた19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパは、産業革命により近代化が進んだ時代であり、人々の生活は劇的に変わりました。ガス灯が輝く通り、華やかな舞台の劇場-街は都市へと変貌し刺激的な場所となります。しかし急激な人口増加に見舞われた都市では生活環境が悪化し、貧富の差が生まれました。人々は都市に息苦しさを感じる一方、自然や素朴な暮らしの残る田舎にピクニックや海水浴などの憩いを求めるようになります。」とあった。ドガ、セザンヌ、モネ、ルノワールは、いずれも1840年前後に生まれ、近代化が急激に進む中、1870年代~1900年代初頭に活躍している。印象派の画家たちだ。  地球温暖化の話は、常に産業革命すなわち石炭(化石燃料)の燃焼が始まったことが起点になる。昨年公表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次報告によると産業革命(1880年)から2012年の132年間に、世界の地表面の年平均気温は0.85℃上昇している。ちなみに、日本はこの100年間で1.14℃上昇している。ルノワールが活躍した20世紀前期の気温上昇は大きい。皮肉にも、中期の世界大戦の時期は停滞するが、平和が戻り産業活動などが活発になる20世紀後期から今世紀にかけて気温上昇が顕著になった。 世界の気候の変化(IPCC)  昨年12月、パリで気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)が開催され、アメリカや中国を含むすべての国々が参加して産業革命前からの気温上昇を2℃未満に抑えることを共通の目標とする「パリ協定」が締結された。世界が低炭素社会の構築に向け、京都議定書(1997)の時代からパリ協定(2015)の時代に移る歴史的転換点となった。今世紀末に温室効果ガス排出ゼロを目指すための社会構造イノベーションも提言されている。低炭素化への劇的変化に呼応して、またパリから新たな文化芸術が生まれ、第2のルノワールやセザンヌが生まれないだろうか。  一般社団法人地球温暖化防止全国ネット専務理事 岩田治郎  2...

「ウィルソンが見た鹿児島」in神保町

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東京堂書店・ウィルソン写真展示    屋久島の古居さんから東京堂書店神保町本店で彼女の近著「ウィルソンが見た鹿児島」のプロモーション中とのメールをいただいた。この書店は初めてだったが、選び抜かれた書籍が整然と分類され、2階にはカフェもあり、ゆっくり本を楽しめる雰囲気がとてもよかった。彼女の本は平積みされ、専用のコーナーにウィルソンの撮った写真が展示してあった。2017年には沖縄県立博物館、2019年には上野の国立科学博物館での企画展が計画されているとのこと。関東では彼が100年前に撮った写真が230点ほどあり、撮影地点を探し、同じアングルからの現在の写真と比較する作業に取り掛かったらしい。「何がどう変わったのか、変わらなかったのか、歴史的、民俗的、植物学的、環境学的、文化的観点から考察する作業にのめりこんでいます。」とメールにあった。大事業だ。  この書店は神保町すずらん通り沿いにあり職場から歩いて5分ぐらい。すぐ隣には小野寺 研究会行きつけの中華料理店がある。また、神保町シアターも近い。小劇場で主に昭和の邦画をシリーズで上映している。今は天知茂をやっていた。  書店の新古本コーナーに探していた小林信彦の「黒澤明という時代」ほか2冊が並べてあった。単行本が文庫並みの値段で一挙に手に入った。時々、覗くことにしよう。 一般社団法人地球温暖化防止全国ネット専務理事 岩田治郎  2016.6.30 神保町シアター

かごしま森のようちえん卒園式

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  毎年この季節になると元気な子供たちの卒園式に参加する。今年も3月17日にあった。土にもさわれない子が数日もすると森の中を走り回り目に見えて成長する。今年は5名が卒園した。活動を始めて9年、NPO法人になって4年が過ぎた。現在約20名が毎日通ってくる。吉野町の磯川沿いの斜面一帯約1000m2の広さの雑木林がフィールドだ。 かごしま森のようちえんフィールド  センス・オブ・ワンダー(感性を育むこと)が基本理念。今年も卒園証書を授与した。「あなたは雨の日も冬の寒い日も毎日森にかよい、たくさんの命とふれ、森の妖精とともに過ごしたことを証します。」森(自然)は厳しい時もあり、子どもたちは知らず知らずのうちに助け合うようになる。「生きる力は幼少期の自然体験と深く関わる」という報告があるが、感性を育むことは、どうやら優しさと強さを一緒に育むことに繋がる。9年の経験から得られた確信である。卒園児がどのような大人になっていくのか楽しみだ。  起業した市川女史をはじめスタッフの努力と保護者のご協力には頭が下がる。 一般社団法人地球温暖化防止全国ネット専務理事 岩田治郎  2016.4.6 卒業証書授与 卒園式会場 青空広場

全国地球温暖化防止活動推進センター

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  7月1日から職場が変わり新生活のリズムに慣れつつあるところ。  さて、地球温暖化対策推進法が制定されてから17年が過ぎたが、この法律の特徴の一つに地球温暖化防止活動推進員制度がある。住民理解を深める活動や指導助言などを行う。  現在、全国で約6000人(鹿児島県は約500人)が委嘱されている。また、知事等は自治体ごとに地域地球温暖化防止活動推進センターを指定することとなっている。鹿児島県では鹿児島県環境技術協会が指定されており、推進員などの活動支援のほか、日常生活における温室効果ガスの排出抑制に関する相談、助言。排出実態調査及び分析。県が行う対策への協力などを行っている。また、同時に同法には、環境大臣が全国で一か所、全国地球温暖化防止活動推進センター(JCCCA)を指定することとなっており、一般社団法人地球温暖化防止全国ネットが指定されている。私の新たな職場である。   同法人は全国55の地域センターが会員となって設立し今年5年目を迎える。理事5名、監事1名で役員を構成し、事務局は5グループに編成、職員は現在22名。  主な事業を挙げると  ・地域センターが実施する地球温暖化防止活動の技術的支援、指導及び助言  ・地球温暖化対策等に関する調査研究及び情報収集・提供  ・研修会や講演会開催などの普及啓発  ・地域センターにおける活動に関する情報交流の促進 などがある。  ちなみに、地域活動支援・連携促進事業(コンソーシアム事業、環境省)では、全国の地域センターが地域のNPOや関係団体、学校などと連携したCO2排出削減活動等への指導・支援を行っている。また、26年度から始まった家庭エコ診制度の事務局として、制度運営のほか国家資格の家庭エコ診断士資格試験業務を進めている。  今年で6回目を迎える「低炭素杯2016」は、全国のNPO,団体、学校、企業及び自治体が取り組んでいる地球温暖化防止活動のコンテストであり、毎年2月に開催される。年々参加者が増えるとともに、活動の質が向上している。鹿児島県からは、第1回大会(2011.2月)で出水市の六月田下集落の活動が準グランプリを受賞したことは、いまだに多くの人々の記憶に残っている。今年も準備作業が佳境に入っている。  事務所は神田神保町の隣町で三省堂神保町本店まで歩いて7,8分。...

梅雨明けの加計呂麻

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  ようやく奄美地方が梅雨明けを迎えたと思ったら、いきなり台風が3つもできてしまった。7月3日から加計呂麻島で干潟調査を始め、何とか台風接近前に終わらせる事ができたけれど、そろそろ奄美地方も台風の影響を受ける頃。トカラ列島も含めて、梅雨の豪雨に台風の影響が加わるだろうから、土砂災害が心配だ。調査中も、ついに夏本番!のはずが、雨→薄曇り→晴れ→曇り→豪雨と1日のうちに何度も雨に見舞われ、濡れては乾き、また濡れての繰り返しだった。おかげでバテずにすんだけど。  そろそろ一降り来るかな、という予感は、厚い雲と日差しが教えてくれる。鹿島市内でも感じることだが、普段日差しが強いせいか、雨が降るとものすごく暗く感じるのだ。夜が明けたときから雨、しかも強い雨の日は、窓の外がいつまでたっても明るくならない。そしてこの時期の雨は意外と冷たいのである。いろんな意味で調査効率が落ちる。  そんな時に再び日が差した時の喜びはひとしおである。体が乾けば温かくなって、よく動けるようになる。ほ乳類にとって濡れると言うことが、体温の低下、体力の消耗、目に入って邪魔、などなどあらゆる点でマイナスなんだな、と思い知らされる。恵みの雨だが同時に阻害要因でもある。それは他の動物たちにとっても同じこと。雨があがると、蝶が花から花へと飛び回り、濡れたハイビスカスの花が空を仰ぐ。雨上がりの青空と新緑がおだやかに夏の訪れを告げ、耳には心地よい程度のセミの鳴き声。う〜ん、良い季節だ。 山本智子 2015.7.10 雨上がりに食事中 かなり接近を許してくれる 加計呂麻島にて 雨上がりのハイビスカス 加計呂麻島薩川にて

杏雨書屋訪問記

  3月末に、大阪の杏雨書屋に江戸時代の博物学の本を調査に行きました。杏雨書屋は、武田薬品工業株式会社からの寄付をもとに創設された武田科学振興財団によって運営されている私立の図書館です。大阪市内の中心部船場(せんば)の北に位置する道修町(どしょうまち)にあります。道修町は、薬種問屋の集中する地域で、現在では著名な医薬品会社の本社ビルが立ち並ぶ地域になっています。道修町には少彦名神社という小さな神社があり、医薬の神さま「神農さん」が祀られています。11月23日が祭礼の日で、道修町の大手医薬品会社の社長さん達が勢揃いしてお参りをします。大阪では「神農さん」のお祭りがあると年末に入ったなと言う気分になります。  杏雨書屋は、武田薬品を設立した五代目武田長兵衛の収集した日本及び中国の医学、薬学関係の書物を基礎としています。日本を代表する医学、薬学書の専門図書館です。「杏雨」は「杏花雨」の略で、薄紅色の杏(アンズ、カラモモ)の花の咲く清明節(4月7日前後)に降る雨を指します。杏は、三国呉の名医である董奉が、治療費を取らない代わりに、病気が治った者に杏の苗を植えて貰い、鬱蒼とした林になった(杏林)、という故事に基づき、名医を象徴しています。  拝見したのは、「中山花木図」4点(写真複製)で、その内の1点が薩摩の著名な画家である木村探元(きむらたんげん)の真筆になります。写本が多く、系統が複雑なので、主要な写本を一覧できる良い機会でした。また、島津重豪に仕えた博物学者曾槃(そうはん)のここにしか所蔵されていない著作や奄美の植物を多く収める「琉球産物志」の写本も拝見しました。  企業秘密の多い医薬品会社ならではの厳重なセキュリティ体制がとられています。まず、武田薬品の警備員受付でアポイントのあることを伝え、氏名、所属、入館時間を記入して、入館証を受領します。次に、別棟の杏雨書屋の1階で入館証を機械にかざしてエレベータを呼び二階へ、二階の杏雨書屋受付に入るため、再度入館証を機械にかざして入室、要件を伝え、今度は、杏雨書屋専用の入館証に交換して閲覧室に案内されます。閲覧室で、パソコンを使って閲覧希望図書を申し込み、しばらく待機していると本を係の方が持参してくれます。本の返却に当たっては、パソコンで係の方を呼び出します。帰るときも、同じ手順の繰り返しです。日本最大の図書館である国...

氷河期の黒潮

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  1月末から続いた卒論修論の発表会シーズンも終わり、卒業判定と来年度に向けた準備の時期である。うちの研究室には、毎年この時期にサンタクロースが降臨することになっている。研究費の追加配分(!)があるのだ。東北や北海道では吹雪が伝えられるこの時期だが、南の島では海岸調査にもってこいの条件となる。暑からず、日差し強からず、人(観光客)多からず。そして潮の満ち干きもちょうど良い。日本近海では、新月と満月の1ヶ月に2回の大潮があり、1日の干満差、つまり満潮と干潮の差が大きくなる。大潮時の干潮はおおよそ正午と真夜中だが、1日2回、同じように潮が引くとは限らない。10月から1月頃まで、夜間の干潮は大きいが、昼間はそれほど引いてくれない。干潮時に歩いて行けるお手軽な生態系を調査対象としているので、この時期は調査をあきらめるか夜中に出て行くしかないのだが、2月中旬も過ぎると、そろそろ昼間でも調査ができるようになる。  毎年この時期は、次の卒論生のための予備調査、島巡りと決めている。今年は奄美大島北部と加計呂麻。加計呂麻で海を見ながら、黒潮について考えた。氷河期に黒潮がどう流れていたのかをシミュレーションで解析したという卒論を思い出したのだ。私たち生物屋は、奄美群島を含む琉球列島の生物多様性とその固有性をもたらす理由について、「地史的スケールで大陸との結合や分断を繰り返した」「黒潮がもたらす暖かくしめった気候が生物生産性を高めている」といった説明をするのだが、よく考えたら、黒潮の流れはいつもおなじではない。何しろ、氷河期には海水面が下がって対馬海峡は陸地であり、日本海は湖だったらしいのだから。最近の研究では、多少は海峡が残っていたとする説が主流らしいが、どちらにしても、対馬暖流は行き場を失っていたことになる。その分すごい勢いで四国沖を流れてたりして・・・そして、台湾から西表、石垣とつらなる島々が陸橋化していたとしたら、黒潮本流もまた、その西側には入り込みにくかったに違いない。奄美大島西岸は随分とと水温が低かったんではなかろうか?  地史学的時間スケールでみれば、自然は片時もとどまっていない。そういえば、400万年前の琵琶湖は三重県にあり(大山田湖)、徐々に北上してきたそうだ。古琵琶湖と呼ぶそうだが、それを琵琶湖と呼んで良いのだろうか?錦江湾も成立当初は淡水だったと言われている...

日本一長い村を駆け下る ~ トカラ列島島めぐりマラソン大会

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 去る10月25日(土)から26日(日)に開催された,十島村の「トカラ列島島めぐりマラソン大会」にボランティア・スタッフとして久しぶりに参加させてもらった。  十島村と言えば,最も北の口之島(くちのしま)から最も南の宝島(たからじま)まで,人が住んでいる地域だけでも南北約130キロにも及ぶ「日本一長い村」-。   島めぐりマラソン大会は,この7つの島々を定期船で巡りながら,それぞれの島に設定されたマラソンコース,延べ約29キロを1日で走破するユニークなマラソン大会で,平成19年の初開催から数えて今回が8回目。台風で中止された3回の大会を除くと,実質5回目の開催となった。  今回の大会の参加者は,申込総数200名の中から厳正な抽選で選ばれた119名で,北は宮城県,南は沖縄県から参加された方々だった。  参加者は,10月24日(金)の23時に村営定期船「フェリーとしま」で鹿児島港を出発。  1番目の口之島にまだ夜も明けきらぬ朝の5時過ぎに到着し,6時からの開会式の後,まずはじめに1人で全島を走破する「島めぐりマラソン」参加者,続いて,複数の人数で島ごとにリレー方式で走破する「島めぐりリレー」参加者の順で次々にスタートしていった。 出港前に「フェリーとしま」の前で行われた参加者説明会の様子 まだ夜も明けきらぬ口之島 西之浜漁港の様子 口之島西之浜漁港の防波堤に描かれた「北緯30度の島」の 文字 1番目の島,口之島をそろってスタートしていく「島めぐりマラソン」参加者 口之島を1位でゴールする「島めぐり マラソン」参加者。 東京都豊島区の公務員であるこの方が全ての島を1位でゴールし, 今大会の 優勝をさらった!! 口之島の全景  口之島は,北緯30度線上に位置し,太平洋戦争後,この島から南は一時米軍統治下に置かれた。    このことにより,現在の三島村の3島(①竹島,②硫黄島,③黒島)と7島(④口之島,⑤中之島,⑥平島,⑦諏訪之瀬島,⑧悪石島,⑨小宝島・宝島[当時は,小宝島は宝島の属島で,2つで1島と見なされていた。],⑩臥蛇島[1970年7月,全島民移住により無人島化])で構成されていた十島村(じっとうそん)は分断され,三島村と十島村の2つの行政体に分かれることとなった。    口之島の次は,7島の中で最も大きな中之島(なかのしま)。ここは,我が...