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日本一長い村を駆け下る ~ トカラ列島島めぐりマラソン大会

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 去る10月25日(土)から26日(日)に開催された,十島村の「トカラ列島島めぐりマラソン大会」にボランティア・スタッフとして久しぶりに参加させてもらった。  十島村と言えば,最も北の口之島(くちのしま)から最も南の宝島(たからじま)まで,人が住んでいる地域だけでも南北約130キロにも及ぶ「日本一長い村」-。   島めぐりマラソン大会は,この7つの島々を定期船で巡りながら,それぞれの島に設定されたマラソンコース,延べ約29キロを1日で走破するユニークなマラソン大会で,平成19年の初開催から数えて今回が8回目。台風で中止された3回の大会を除くと,実質5回目の開催となった。  今回の大会の参加者は,申込総数200名の中から厳正な抽選で選ばれた119名で,北は宮城県,南は沖縄県から参加された方々だった。  参加者は,10月24日(金)の23時に村営定期船「フェリーとしま」で鹿児島港を出発。  1番目の口之島にまだ夜も明けきらぬ朝の5時過ぎに到着し,6時からの開会式の後,まずはじめに1人で全島を走破する「島めぐりマラソン」参加者,続いて,複数の人数で島ごとにリレー方式で走破する「島めぐりリレー」参加者の順で次々にスタートしていった。 出港前に「フェリーとしま」の前で行われた参加者説明会の様子 まだ夜も明けきらぬ口之島 西之浜漁港の様子 口之島西之浜漁港の防波堤に描かれた「北緯30度の島」の 文字 1番目の島,口之島をそろってスタートしていく「島めぐりマラソン」参加者 口之島を1位でゴールする「島めぐり マラソン」参加者。 東京都豊島区の公務員であるこの方が全ての島を1位でゴールし, 今大会の 優勝をさらった!! 口之島の全景  口之島は,北緯30度線上に位置し,太平洋戦争後,この島から南は一時米軍統治下に置かれた。    このことにより,現在の三島村の3島(①竹島,②硫黄島,③黒島)と7島(④口之島,⑤中之島,⑥平島,⑦諏訪之瀬島,⑧悪石島,⑨小宝島・宝島[当時は,小宝島は宝島の属島で,2つで1島と見なされていた。],⑩臥蛇島[1970年7月,全島民移住により無人島化])で構成されていた十島村(じっとうそん)は分断され,三島村と十島村の2つの行政体に分かれることとなった。    口之島の次は,7島の中で最も大きな中之島(なかのしま)。ここは,我が国で唯一,西洋種の影響を受け

香港学会

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 12月17-18日に香港浸會大學 Hong Kong Baptist Universityで開催された「中國詩學研究前沿國際論壇:Leading Scholarship on Chinese Poetics: An International Symposium」に参加してきました。前回、香港を訪れたのが、中国返還前の1987年ですから、27年ぶりの香港です。香港浸会大学は、ミッション系の大学で、香港大学に次ぐ歴史を有しています。場所は、九龍半島の中程で、高級住宅地に位置しています。海への眺望は開けていませんが、山を背に斜面に校舎が配置され、狭いキャンパスが合理的に配置されています。香港は元イギリスの植民地ですが、この大学はアメリカ系です。 図版1 香港浸会大学・行政楼  宿泊は大学内の呉多泰博士国際センターで、部屋は11階(イギリス式。実際は12階)でした。写真は、南向きの窓からの夕方の眺望です。左手の山が香港島のピークで、その手前に、現在香港で一番高いICCビル(環球貿易広場、118階、484m)が見えます。  手前の空色の宿舎群は、中国人民解放軍の施設「九龍東軍営」で、学生運動が始まって以降は、開放していた門を閉鎖したそうです。 図版2 ホテルの窓から  学生運動は当局の取り締まりで、すでに収束しており、街中も、大学内も静かでした。写真は、学生運動の名残です。 図版3 学生運動の名残  学会終了後、エクスカーションで、香港の西端、ランタオ島の大澳(タイオ)という漁村へ連れて行ってもらいました。水上生活者(タンミン)の住居が残されており、古い漁港としての香港の姿を残す地域です。  高津孝 2014.12.24 図版4 大澳の水上住居 図版5 大澳の商店街

鹿児島に秋はあるか?

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  鹿児島には「秋」がない。鹿大にきて十数年、感じ続けていることである。「春」は確かにある。桜が咲くから。東京大阪より開花が遅いこともあり、四月、常夏の国から降り立つ留学生達を桜が迎えてくれる。しかし、とにかく「秋」がない。11月中旬の大学祭まで、学生はビーチサンダルに半袖Tシャツ、酔っ払った勢いで寝てしまっても、風邪を引くことはあっても凍死することはない^^;なのに12月上旬に街ゆく人達は、コート姿である。  そういえば、鹿大での最初の勤務地長島には「秋」があったような気がする。それまでの人生で一番積雪に見舞われたのも長島であった。何で鹿児島に来て雪に降られにゃならんのか?と思って空を見上げれば、どよ〜んと曇り空。これは、関西では日本海側の冬の天気である。瀬戸内側が空っ風吹く晴天(これはこれで寒々しいのだが)であるのに対して、あつ〜い雲に覆われ、海は荒れ気味。「ナルホド。東シナ海って、結局日本海の南の端なのね」と納得した。北薩地方に「秋」があるのは、単純に景観の問題、つまり、紅葉がみられるか、落葉樹か常緑樹かという問題だろうと思う。樹木の分布は気温で決まる部分が大きいだろうから、それだけ気温が違うのだろう。  ところが、今年は鹿児島にも「秋」が来たような気がするのだ。10月に一度気温が下がり、11月上旬まで本当に寒かった。急に秋服が必要になったりして・・・その後、再び気温は上昇、夏日まで出る始末。今日も学生達は半袖Tシャツである^^; 生活の中で感じるこういう変化がデータとして残るのか、ちょっと調べてみた。つまり、 ・北薩と鹿児島市内では秋の気温が違う ・今年は昨年と秋の気温変化が違う と言う状況が、気象庁の気温データで読み取れるかどうかである。 図1 西日本各地における日平均気温の月平均(2011年):気象庁HP  図1は日平均気温を月ごとに平均した値の季節変化を見たもの。紅葉が有名な京都を比較対象にしてみた。欠損値がない年を探していたら、2011年までさかのぼることになってしまった。紫の鹿児島と緑の阿久根で違うところと言えば、9月から10月の気温の落ち込みだろうか。夏の気温というのは、名瀬も京都もあまり変わりが無く、阿久根など京都や熊本より涼しいぐらいだ。9月の気温も比較的似通っているが、10月の平均気温が20度を下回るかどうかが大きな違いだろう。  熊本の冬