投稿

8月, 2013の投稿を表示しています

真珠の耳飾りと首飾りの少女

イメージ
  時間の経つのは早い。もう去年の夏の話だ。翌日午前の会議のために上京した8月末の日曜日。電車内の吊広告で、あの少女のポスターが目に飛び込んできたこともあり、上野の東京都美術館で開催中の「マウリッツハイス美術館展」(オランダ・フランドル絵画)に行った。お目当ては、ヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(1665)である。案の定、人が多く、その絵の前では立ち止まれない。30秒ほどの逢瀬となった。大きい絵ではなく、よっぽど集中していないと大事なところを見逃してしまいそうで“鑑賞”には程遠い。それでも振り向いた少女の目には魅入られた。そういえば、篠山紀信が、この絵は巧みに計算され人を引き付ける構図になっているとTVで話していたことを思い出した。写真では再現できないらしい。   ところが、である。隣接する国立西洋美術館では「ベルリン国立美術館展」が開催されていたので、ついでにと思って入ってみると、期せずして、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」(1662~1665年頃)を見ることができた。比較的ゆっくりとしかも至近距離から鑑賞できた。画面全体にディテールがとても精緻で、画集では決して汲み取れないタッチや色の深みを感じることができた。   フェルメールに関する本はたくさんあるのだろうが、福岡伸一氏の「フェルメール光の王国」は、科学者らしい仮説を織り込みながら、全作品を訪ねて世界各地の美術館をめぐる展開になっており、とても面白く読んだ。   仮説はこうだ。フェルメールと光学顕微鏡の先駆者アントニ・ファン・レーウェンフックとの間には実質的な交友関係があったのではないか。レーウェンフックの初期の顕微鏡観察のスケッチ(昆虫の脚など)は画家に頼んだという記録があるが、それがフェルメールだったのではないか。福岡はさらに、「フェルメールは、レーウェンフックの作った顕微鏡のレンズを覗き、おそらくそこで“光のつぶだち” (粒立ち:一粒一粒がはっきりしていること)を発見したのではないか。」とさえ書いている。絵画に暗い私ですら画面の緻密さを感じたのも、むべなるかなである。  フェルメールの絵は36点しか残されていない。同時に2点も見ることができたことは幸運で、その日はとても儲けた気分になった。  今夏は狂暑。東京に呼び出されることもなく空調の中で静かにしている。 岩田治郎   2013.8