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見えない世界の生物たち

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  海辺を歩くのが好きだ。ただ誰も歩いていない砂浜を色々と空想しながら歩くのは楽しい。岩礁に生息する生き物たちを見ながら、石を除いたらカニ達が驚いて駆け出す。カニ達と追いかけっこをするのもタイドプールの魚たちを観察するのも楽しい。   砂浜を歩く楽しみの一つに、美しい貝殻を探すことがある。大きく殻の欠けていない貝殻を見つけたときは嬉しいものだ。しかし、最近になり多くの人たちから、「貝殻が少なくなった」という話を聞く。多くの人たちが貝殻拾いを趣味にして、私たちが拾いに行く前に採集してしまっているのだろうか。どうやらそうでもないようだ。  多くの貝殻が海水に覆われた海底から運ばれてくる。そこは海の中であるため、私たちには現実にそこで何が起こっているかはわからない。そのため、なぜ貝の数が減ったのかという原因を明確に説明することは難しい。考えられる原因は、例えば、海砂の採集、ダムでせき止められたれ砂が海に流入しないこと、逆に赤土などの流入、海洋汚染、気候変動、移入種による影響などが考えられ、これらにより貝にとっての生息空間が悪化しているのかもしれない。  小さな貝たちも生きていくことに苦労をしている。海を見ながらその見えない海の底で何が起こっているかを想像してみると面白いかもしれない。そして、色々な人が色々な想像すれば見えない世界も身近になり、小さな貝の世界も少しは改善するかもしれない。 河合渓 2013.5.30 打ち上げられた貝殻

薩摩の生物多様性・時間旅行

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  昨年度から鹿児島県の委託を受けて「生物多様性かごしま県地域戦略」策定のための資料収集整理を行っている。中村朋子女史(鹿大教育学部平成7年卒)が担当しているが、三国名勝図会に記載されている動物を、彼女が探し出した明治期の地図に落とした資料は、当時の生物多様性をわかりやすく理解できる資料として、とても好評を得た。今回、半ばパワハラ?で「こぼれ話」を書くようにお願いした。とても楽しい文章になっているので紹介する。「岩田はずるい」と言われるかもしれないがご容赦を。 『三国名勝図会』  昨年度の鹿児島県生物多様性懇談会の資料作成の中で『三国名勝図会』に出会った。江戸時代後期に薩摩藩が編纂した薩摩国,大隅国,及び日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した文書(全60巻)である。特に,神社や寺院についてはその由緒,建物の配置図や外観の挿絵まで詳細に記載され,各地の名所風景を描いた挿絵も多く,当時の薩摩藩領内の様子を知るための貴重な資料となっている。  今回は懇談会の資料作成ため,物産の項目に出てくる各地の飛禽類(鳥),走獣類(動物)について図表にまとめた。現在では見られない動物の名もあり,アシカ・ジュゴン(海獺・海馬)は坊泊,屋久島に表れる。屋久島の巻では「海中より陸に上がりこみ,人家の糠を食うこと多し」と記されている。2012年8月28日に環境省が絶滅種と指定したニホンカワウソは,大隅・北薩の各地,加世田で見られた生き物として表れる(図)。鶴は加世田・鹿児島・国分・串良・高山で見られたとされている。ニホンカワウソが生息できる川の恵み,鶴が過ごせる干潟の恵みがその時代にはあったのだ。同項目には,鱗介類(魚介)も挙げられており,漁業の動力が人・風・波に限られていた時代の海の豊かさを想像することができる。遠洋に出ずとも,沿岸部を回遊しながら,食となる魚たちを得ていたのだろうか,阿久根や大隅の村の物産には,鮪や鰹の名も出てくるのだ。高級魚として知られるアマダイ(方頭魚:クズナ)も錦江湾を中心に各村で獲られていたようだ。  『三国名勝図会』の挿絵を見ていると,江戸後期時代へと時間旅行している気分になれる。馬や籠の行きかう往来,雁の渡る桜島,砂州の広がる錦江湾,朝鮮文化が息づく苗代川,帆船の浮かぶ阿久根浦。『麑海魚譜』,『成形図説』と併せて眺めれば,幕末薩摩の急進的なイメージとは違った