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気の置けない面々の祝賀会

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 昨年 11 月、小野寺浩屋久島環境文化財団理事長が第 74 回南日本文化賞を受賞された。鹿児島大学鹿児島環境学研究会の生みの親であり、環境庁時代から自然環境保全と調和した地域づくりを目指してこられた。今回の受賞は屋久島、奄美の世界自然遺産登録や自然共生的地域づくりへの長年の貢献が評価された。 研究会設立当時のメンバーが中心となって、 12 月 18 日、主賓の来鹿を機に天文館のホテルで祝賀会を開いた。財団関係者を含めて総勢 20 名になった。一つの狙いがあった。形式的な「ご挨拶」ではなく、参加者全員の気取らない 2 分間スピーチをお願いした。気の置けない面々で、期待どおり主賓に敬意を払いつつも突っ込みも交えた話もあり盛り上がった。また、釧路、東京、奄美からの懐かしい方々のメッセージ動画と思い出の写真スライドショーも会を盛り上げた。思いがけず東京キー局のニュースキャスターからのメッセージは「もっと前面に出て!」だった。あまみFMの F 君のヒットだ。 主賓の鹿児島県環境政策課長時代、鹿児島大学学長補佐・客員教授時代、そして屋久島環境文化財団理事長以降の 3 期に分けて業績年表を作成した。自然共生的地域づくりの姿勢が貫かれ、主要な業績はエポックメイキングになっている。また出版や映像で理解者を広げる努力も続けられている。私はほとんどの業績にコミットさせていただいたことに改めて感謝した。 関係者全員の祝意で満ちた会であったことは言うまでもない。「祝賀会は?」とメールしてきてくれた N さん、記念品に薩摩ボタンをプロデュースしてくれた F さんに御礼を言いたい。主賓からは、翌日ホテルから投函した?葉書に「世話になった。ありがとう。鹿児島にて」とあった。                                                   (屋久島環境文化財団評議員 岩田治郎  2024.1.16 )

君たちはどう生きるか・地球儀・屋久島

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 「君たちはどう生きるか」10年ぶりの宮崎駿監督作品が7月14日に公開された。公開直後、混雑を避けようと平日に館に行ったが、鹿児島市で観客が100人を超す情景を初めて見た。   作品名は作者が幼い頃母親から渡された小説の名からつけたらしいが、物語の展開や映像は宮崎ワールドが広がっている。主人公の少年を通じてどう生きるか問いかけていた。エンドロールで流れた米津玄師作曲の主題歌「地球儀」の「何度でも描き続ける、地球儀を回すように」のフレーズが残った。そんな時、研究会メンバーのNさんから、この主題歌のミュージックビデオ(MV)が屋久島で撮影され若者の間で評判になっているとのメールが届いた。(https://youtu.be/VUsURj_OYdA)    米津玄師が屋久島の風景をバックに熱唱している。スギ林、苔、しずく、新芽、滝の水しぶき、サル、シカ、トンボ、チョウ、サギ、ススキ草原、ヒマワリ畑、1枚岩の川床、海岸段丘、波音、青空など里山から海岸部にかけての身近な風景が淡々と全編に広がっていた。主題歌のイメージに沿ったのであろうが、屋久島の切り取り方がとても新鮮に映った。懐かしくもあった。私はいつの間にか世界遺産バイアスのかかった風景しか見ていなかったのかもしれない。MVの監督は奥山大史氏で、1996年東京生、「僕はイエス様が嫌い」でサンセバスチャン国際映画祭最優秀新人賞を受賞。MVはほかにパプリカ(Foorin)、カナリヤ(米津玄師)、創造(星野源)などとある。屋久島観を聞いてみたくなった。 「君たちはどう生きるか」パンフレット、 MV 地球儀より          屋久島環境文化財団評議員 岩田治郎  2023.8.31

ChatGPTは「環境文化」をかく語りき。

最近、ChatGPTが世間を騒がせている。先日、O教授からChatGPTの「環境文化とは何ですか?」との問いに対する解が送られてきた。5月20日と24日の2日分があった。進化するらしい。5月24日バージョンを紹介する。   「環境文化とは、自然環境や人間の文化・社会との相互作用に焦点を当てた概念です。環境と文化は密接に結びついており、人間の行動や価値観、伝統、信仰体系などが環境に影響を与え、逆に環境が人間の文化に影響を与える関係にあります。 環境文化は、人々が特定の地域や共同体において継承してきた知識、技術、習慣、芸術、祭り、神話などの要素から成り立っています。これらは、地域の自然環境や生態系との調和や依存関係を反映しています。例えば、特定の地域の民族集団が伝統的な農業方法を実践し、その地域の生態系と調和しながら環境を利用してきた場合、それはその地域の環境文化の一部と言えます。 環境文化は、持続可能な開発や環境保護の観点からも重要です。伝統的な知識や文化的な実践は、持続可能な資源管理や環境保護のための貴重な情報源となり得ます。また、環境に対する文化的なつながりや意識は、人々の環境への関与や保護活動に影響を与えることがあります。 環境文化は、文化多様性や生物多様性とも関連しています。地球上の異なる地域や文化圏では、環境への価値観や取り組み方が異なることがあります。環境文化の保護や促進は、地域の文化的な多様性や生物多様性の維持にも寄与することができます。  環境文化は、人間と自然環境のつながりを深め、持続可能な未来を築くために重要な概念です。環境問題や文化の変化に対応しながら、環境と文化の相互作用を理解し、保護と継承を促進することが求められています。」   「環境文化」を幅広い視点から丁寧に説いている。ChatGPTは関連するデータが多ければ多いほど精度は高くなる。行政文書や研究報告、書籍、新聞記事、電波媒体等で、いかに数多く語られてきたかという証左でもある。「環境文化」は、1990年、鹿児島県の「屋久島環境文化村構想」の中で「人間の活動と環境のかかわりや自然の恵み」という概念から始まった。以後、行政目標や研究テーマとして取り上げられ、30数年を経て、「持続可能な未来を築くために重要な概念」にまで成熟したことは感慨深い。ただ、査読が必要なことは言うまでもない。しばらく

なぜ、今、「屋久島 知の巨人たち」なのか。

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 11月21日付け毎日新聞の看板コラム「余録」に、「25年前、日本で脳死臓器移植ができるようになった・・」(※1)と題するコラムが掲載された。このコラムに引用されたのが、今年6月に、屋久島環境文化財団監修のもとに発刊された「屋久島 知の巨人たち」(※2)だった。30年前の屋久島環境文化懇談会主要メンバー10人の千字コメント(当時)と屋久島に思いを寄せる現代4人の方々のコメントを中心に、写真集及び参考資料で構成されたムック本である。その中で、懇談会メンバーの梅原猛氏(哲学者)と井形昭弘氏(鹿児島大学長、当時)の脳死臨調でのエピソードも紹介されている。このコラムは、梅原猛氏の言葉「共生と循環」で締めくくられていた。それは同時に、なぜ、今、「屋久島 知の巨人たち」なのかの答えにほかならない。発刊に関わった一人として「伝わっている」を実感してうれしかった。 (※1)25年前、日本で脳死臓器移植ができるようになった 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20221121/ddm/001/070/119000c (※2)「屋久島 知の巨人たち」 屋久島 知の巨人たち | 養老 孟司, C.W.ニコル, 兼高 かおる, 梅原 猛, 大井 道夫, 福井 謙一, 上山 春平, 山極 壽一, 白幡 洋三郎, 土屋 佳照, 沼田 眞, 中村 利雄, 下河辺 淳, 井形 昭弘, 小野寺 浩, 屋久島環境文化財団, 国本 真治, 羽鳥 好美, 加戸 昭太郎 |本 | 通販 | Amazon (屋久島環境文化財団評議員 岩田治郎)

照葉樹の森、一夜限りのレストラン

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  先日(10月22日)、錦江町が鹿児島出身で大阪やパリにフレンチレストランを持つオーナーシェフと組んで「星空のレストランin花瀬」を開いた。同町の背後地、稲尾岳・木場岳一帯はシイ類、カシ類、クスノキなどが分布する西日本最大級の照葉樹森帯が広がっており、自然環境保全地域、天然記念物、森林生態系保護地域に指定されている。同町はこの照葉樹の森を活かした地域づくりに取り組んでおり、今回その一環として、照葉樹林の麓を流れる花瀬川の川床に広がる千畳敷の石畳(花瀬公園)に一夜限りのフレンチレストランが生まれた。  景勝地散策のあと食事。アミューズ、冷・温のオードブル、スープ、魚料理、口直しのシャーベット、肉料理そしてデザート、紅茶コーヒーのコースであった。食材には錦江町産の秋茄子、マンゴー、椎茸、安納芋、キクラゲのほか地野菜。肉は錦江町特産の舞桜豚と鶏、魚は錦江湾産のヒラマサとカンパチなどを使い、とても上品な料理になっていた。さらに地元のブドウ農園で作られた花瀬ワイン、焼酎(魔王)、最後に地元産の深蒸し茶と団子もふるまわれた。  本物の自然、本物の食材そして本物の料理が揃ったことで参加者は圧倒された。一人3万円の料金は決して安くはないが、県外からの参加はもとより、キャンセル待ちが出たというのもうなずけた。以前、鹿児島県観光のキャッチコピーが「本物。(マル)鹿児島」であったことを思い出した。地域にある多様な本物素材にどのような付加価値や物語性を付けて他者との持続可能な交流を図り地域おこしに繋げていくのか。錦江町長は来年も開きたいと言っておられた。試みは続く。 岩田治郎  2019.11.12 「星空のレストランin花瀬」(錦江町)

兼高かおるさんと屋久島

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   この1月初旬に逝去のニュースが流れた。今更紹介するまでもないが、約30年にわたりTV番組「兼高かおる世界の旅」を続けられた旅行ジャーナリストである。  兼高さんは、県が設置した屋久島環境文化懇談会(1991~1992)で、梅原猛氏やCWニコル氏などともに、とても発信力のある委員の一人であった。この懇談会は、わが国初の世界自然遺産登録の提案を行うなどその後の国の自然環境保全政策に少なからず影響を与えた。彼女は、西洋の「金の卵を産むガチョウ」の話を引用して、「金の卵を産むからと言っておなかから卵を取ろうとガチョウを殺してはすべてを失う。屋久島の杉は金の卵だ」と力説された。  縄文杉登山にも挑戦された。1回目は悪天候で途中引き返したが、その後再挑戦し成就した。当時、縄文杉の根元の砂流出を補うために、小杉谷から登山者が一人ずつ砂を運ぶ「生命の砂一握り運動」(1992~1994)を行っており、喜んで参加された。この縄文杉登山については寄稿されている。「この島は神々の住居」と称し、「古代から世界のあちこちで、大木を神に例えたり、畏れ敬う風習があるが、屋久島でも巨木に斧を入れる前に木魂(こだま)様にお祈りをした。大木はなぜか子供には親しい遊び相手だが、成人には畏敬を感じさせる気品がある。この神々の聖地はどの木にも私たちの行動を見ているようで、謙虚にならざるを得なかった。」さらに縄文杉の根の傷みを残念がられ、「島の人は、この島に住む誇りを、島を訪れる人は、この島がかけがえのない世界の宝であることを念頭に置いて行動してもらいたい。」と結んでいる。紀行文としても素晴らしい。まもなく縄文杉周辺の立入禁止措置(1994)や展望デッキの設置(1996)など樹勢回復対策が始まった。  来鹿の際は、お世話役として常に同行したが、無理もきいてくれる兼高さんの懐の深さにはとても助けられた。気さくで年賀状も太平洋上からということもあった。ご冥福を祈ります。 岩田治郎  2019.2.1

Penaeus japonicus

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  初任地は鹿児島県水産試験場調査部で、漁場の水質監視や水質管理を担当した。当時、県は大型陸上タンクによるクルマエビ養殖の技術開発に取り組んでおり、少し関わった。45年も前の話である。近年、クルマエビ 科の分類が細分化されたらしく、学名は、Penaeus japonicus からMarsupenaeus  japonicus となっていた。  クルマエビは夜行性で、日没後タンクの底の砂床から出てくる。そのタイミングで人工飼料を投餌する。タンクは二重底になっていて、海水は砂床(約10㎝)を抜けて外に出ていく。残餌による砂床の悪化(還元層形成)や摂餌行動に伴う海水中の溶存酸素濃度の低下(酸欠)が水質管理上の課題となっていた。要するに、餌のやり過ぎは、経営的にも水質管理上も不利になることから、最適の条件を探ることが研究テーマとなった。当時、フィールドは、知覧町(現南九州市)南別府の民間のクルマエビ養殖場で、毎週通っていた時期もあった。何せ、夜行性なので水質分析も夜通しなのである。  最近、新橋にクルマエビ料理専門店ができた。知覧町の養殖場を経営する会社が出した店で、毎日、生きエビを直送しているらしい。3年暮らした東京を離れる前に必ず行こうと思っていたし、久しぶりに堪能した。45年前の仲間と再会したような気がした。  養殖生産量は、全国で1,300トン(2016)、最盛期3,000トン(1988)の半分以下になったものの、鹿児島県は沖縄県に次いで第2位を維持している。かつて県が進めた漁業振興策は一定の成果を収めていることが嬉しかった。  Penaeus japonicusは焼酎で生き締めし、殻をむいて食べるのが一番だ。フィールドでの、たまの楽しみだった。 岩田治郎  2018.7.10