投稿

6月, 2012の投稿を表示しています

カクレと多様性

イメージ
  生月島黒瀬の辻殉教碑  先週、学会参加のため長崎を訪れた。学術大会ののち18日に、学会の企画として生月・平戸のカクレキリシタン関連の見学に出かけた。平戸といえば、開通して便利になった九州新幹線を使っても、鹿児島中央からゆうに5時間は掛かる場所。しかし、1543年(天文12)にポルトガル人が種子島に漂着したわずか7年後の1550年(天文19)からの十年あまり、平戸は対ポルトガル交易(南蛮貿易)の港として栄え、1549年に来鹿したフランシスコ・ザビエルも翌年には平戸での布教を試みている。つまり、船の時代には鹿児島と海路(回路)で結ばれていた土地であった。時間に縛られ、移動といえばもっぱら陸と空に頼ろうとする現代人の盲点である。   その後の豊臣・徳川によるキリスト教の弾圧・禁教政策ののち、この地域のキリシタンたちは、「お神様」の「お掛け絵」を納戸に祀り、権力から隠れて信仰を維持してきた。生月の離れ小島である中江ノ島は、数名の殉教者を処刑した場所で聖地とされているが、島南面の断崖からしみ出る「お水」は聖なる力を宿すと考えられ、洗礼などに活用されてきている。     ところで、鹿児島で「カクレ」といえば、かくれ念仏である。島津藩はキリシタンばかりでなく、一向宗(浄土真宗)も禁止していた。カクレキリシタンの納戸神と同様、納戸柱に本尊の阿弥陀仏を隠していたという事例もあるが、圧巻はガマや盗人穴と呼ばれる洞窟や岩屋での念仏行である。   中江ノ島の断崖といい、かくれ念仏のガマといい、「よくもまあわざわざこんな場所で」と感じるのは不信心者の浅はかさか? ただ、信仰者の情熱とともに感慨を誘うのは、たとえ彼ら・彼女らの信仰を当時の権力が容認していなくとも、こうした自然の景観や地形のほうはそれを許容し、その奥深さのうちに受け入れてきたという事実である。そうした意味では、自然環境は生物の多様性ばかりではなく、信仰の多様性のゆりかごともなってきたと言えるのではないだろうか。   西村明 2012.6.25

梅雨

イメージ
  今年も梅雨の季節となりました。雨はじとじとと降り、湿気の多い毎日。おまけに今年は桜島の火山灰がべとついてしまうのでなおさらうっとうしく感じてしまいます。いっそのこと大雨が降って、降灰を思いっきり洗い流してくれればいいのになんて思ってしまいます。  鹿児島の年間降水量は軽く2000㎜を超えています。いろいろなデータを見ても全国で8位だったり13位だったりしているのでよくはわかりませんが、雨の多いところだとは思います。もちろん屋久島とは比較になりませんけど。屋久島の環境文化村センターにいくとジオラマの上に天井から雨をかたどった模型がぶらさがっていますが、屋久島では時として10,000ミリも降るのですから驚きます。  最近、ある国際会議でイスラエルの方の通訳をしました。彼女の出身地の年間降水量はたったの5ミリだということです。砂漠の中でいかに水が貴重であるかを丁寧に説明してくれました(実はイスラエルが砂漠の国だなんて意識はありませんでした。。。)。鹿児島では5ミリの雨ですと雨とも思えない量です。1日ではなく1年にそれだけの雨しか降らないというのはなかなか実感としてわきません。  そして、今週の月曜日。またまた雨の乏しい国の方とお会いしました。喜入の石油基地を訪問した産油国のかたがたです。バーレーンから参加していた方が、基地の建物の前にあるソテツの木をしげしげと見つめており、「うらやましい」とひとことつぶやいていました。理由を聞くと、「ソテツのような木を育てたいけど、1本育てるのに最低でも1月分の給料くらいはかかってしまう。なにしろ年間降水量は20ミリあるかないかだから」ということでした。そういえば、以前、中東に帰るタンカーに屋久島の水を積み込んでは、なんていう話もありましたっけ。  恵みの雨に感謝! 山崎美智子 2012.6.15 梅雨の雨。灰を流してくれますように …

センス・オブ・ワンダーを求めて

イメージ
  鹿児島市吉野町の雑木林で、5年前から乳幼児の野外体験学習、いわゆる「かごしま森のようちえん」が始まった。当初は月2回程度のイベントとしてスタートしたが、3年前からは年令別や親子参加型、週末だけなど5クラスを設け、ほぼ毎日開園、参加者は年間延べ2,500人を越える。国内に約150カ所の「森のようちえん」があるらしいが、毎日活動している拠点はほとんどない。  土にも触れることができない子どもが、2週間も経つと雑木林を走り回るようになる。その変化には目を見張る。1950年代にデンマークで始まったらしいが、森のようちえんの基本理念となったのが、アメリカの生物学者レイチェル・カーソン女史(科学を学ぶ者にとっては必読書「沈黙の春」の著者としてあまりにも有名)のsense of wonderである。64才で生涯を閉じた女史の最後の作品。世界中の子どもに、生涯消えることのないsense of wonder(=神秘さや不思議さに目を見はる感性)を授けてほしい。「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないなど、自然の中で育まれる感性にこそ、人と自然との関わりの本質が見えるのではないかと気取らずに述べている。短編だが名著。  「かごしま森のようちえん」の中心人物が「市川雪絵」。本学教育学部1995年卒。2児の 母でもある。今、トヨタの「カローラプレゼンツ・ニッポンコレカラプロジェクト」でブレイク中。全国から集まった47プロジェクトの若者をWebサイトで紹介。「いいね」マークをクリックすることで投票し、1位になるとTV特番が放映される。現在、長野の美人版画家や山中温泉の芸妓たちを相手に3~4位を争っている。9月までの戦い。「ここまで来たら日本一を目指そう」のキャンペーン中。皆さんの応援をお願いします。 (トヨタ カローラプレゼンツより)  設立総会も終え、秋頃にはNPO法人として新体制でスタートする。順風満帆とまではいかないが、私は「ワイルドだぜ」と周りに言い放ちながら、部下の活躍に、久しぶりにワクワク感を味わっている。  岩田治郎 2012.6.6