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氷河期の黒潮

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  1月末から続いた卒論修論の発表会シーズンも終わり、卒業判定と来年度に向けた準備の時期である。うちの研究室には、毎年この時期にサンタクロースが降臨することになっている。研究費の追加配分(!)があるのだ。東北や北海道では吹雪が伝えられるこの時期だが、南の島では海岸調査にもってこいの条件となる。暑からず、日差し強からず、人(観光客)多からず。そして潮の満ち干きもちょうど良い。日本近海では、新月と満月の1ヶ月に2回の大潮があり、1日の干満差、つまり満潮と干潮の差が大きくなる。大潮時の干潮はおおよそ正午と真夜中だが、1日2回、同じように潮が引くとは限らない。10月から1月頃まで、夜間の干潮は大きいが、昼間はそれほど引いてくれない。干潮時に歩いて行けるお手軽な生態系を調査対象としているので、この時期は調査をあきらめるか夜中に出て行くしかないのだが、2月中旬も過ぎると、そろそろ昼間でも調査ができるようになる。  毎年この時期は、次の卒論生のための予備調査、島巡りと決めている。今年は奄美大島北部と加計呂麻。加計呂麻で海を見ながら、黒潮について考えた。氷河期に黒潮がどう流れていたのかをシミュレーションで解析したという卒論を思い出したのだ。私たち生物屋は、奄美群島を含む琉球列島の生物多様性とその固有性をもたらす理由について、「地史的スケールで大陸との結合や分断を繰り返した」「黒潮がもたらす暖かくしめった気候が生物生産性を高めている」といった説明をするのだが、よく考えたら、黒潮の流れはいつもおなじではない。何しろ、氷河期には海水面が下がって対馬海峡は陸地であり、日本海は湖だったらしいのだから。最近の研究では、多少は海峡が残っていたとする説が主流らしいが、どちらにしても、対馬暖流は行き場を失っていたことになる。その分すごい勢いで四国沖を流れてたりして・・・そして、台湾から西表、石垣とつらなる島々が陸橋化していたとしたら、黒潮本流もまた、その西側には入り込みにくかったに違いない。奄美大島西岸は随分とと水温が低かったんではなかろうか?  地史学的時間スケールでみれば、自然は片時もとどまっていない。そういえば、400万年前の琵琶湖は三重県にあり(大山田湖)、徐々に北上してきたそうだ。古琵琶湖と呼ぶそうだが、それを琵琶湖と呼んで良いのだろうか?錦江湾も成立当初は淡水だったと言われている。海水で