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太平洋のネシア

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 海洋は地球の約70%を占めていることはよく知られている。その中でも太平洋は最も広大な海洋地域である。広い太平洋は一見海だけが広がる地域のように見えるが、そこには多くの島々が存在する。  太平洋の島々はその分布する地域によって、大きく3つに分けて考えることができる。北半球に広がりミクロネシア連邦、パラオ国が位置する地域はミクロネシア。ミクロネシアは「小さな島々」を意味している。南半球の西に広がり、ニューギニアやフィジー諸島などの国を含む地域はメラネシア。「黒い島々」を意味している。南半球の東に広がり、ニュージーランドやサモアを含む地域はポリネシア。「多くの島々」を意味する。ここで語尾に使われる「ネシア」はラテン語で「島々」を意味している。  私は鹿児島大学に赴任してから、ミクロネシア連邦、フィジー、クック諸島などで研究を進めてきたが、最近は奄美群島でも仕事をしている。奄美の作家島尾敏雄は日本列島を「ヤポネシア」と呼んでいた。  太平洋に分布する「ネシア」は自然環境も人々も多様で、訪れるたびに、新たな発見と驚きを見つける。身近に思っていた奄美群島にもまだまだ知らないことが多い。今年は奄美群島において多くの新たな発見で驚きたいと思っている。 河合渓 2013.7.6 ポリネシアの漁民

モロッコと環境教育

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 6月上旬、モロッコに行った。2年に1回開催される国際環境教育会議(World Environmental Education Congress)に出席するためだった。環境教育研究の世界はまだ若く、国際学会というものはまだ設立されていない。それに代わるのがこの会議だろうか。 訪問したマラケシュ都市郊外。 水や緑のない台地が延々つづく。ヤギ飼いをよく見かけた 緑は植林したユーカリかオリーブの木。 こちらは良質のオイルがとれるアルガンの木  あまり知られていないが、世界の環境教育のムーブメントを作るきっかけは、1975年に世界の環境教育専門家が集まって起草したベオグラード憲章にさかのぼる。そして同年、京都で日本学術会議の主催でInternational Congress on the Human Environmentが開催され、分科会Information and Education on the Environmentにおいて、日本の公害教育実践が初めて世界に紹介され、海外の研究者を驚嘆させた。 日本では絶滅のコウノトリも モロッコでは街の城壁のあちこちに巣づくりをしていた アルガンの木実の皮をむいて臼で挽くと油がとれる。 寡婦を中心に組合をつくって製造販売に力を入れていた  それから実に40年が過ぎ、環境教育の勢力図はずいぶん変わったように思う。契機は、国連機関のユネスコが環境教育の主導をとるようになってからだろうか。2003年に立ちあがった本会議は、欧米を中心とした「主流」環境教育を取り込みながら、中南米や地中海の国が主導権を握っているのが面白い。 円すい形の「土鍋」タジンで煮込んだ料理は スパイスが利いて乾燥した暑い国ならではのもの。おいしくてはまった 夜な夜な夕食(お酒はない)に通った世界文化遺産のフス広場。 店開きは、暑さがひと段落した16時から。人、音楽、食、工芸品で熱気がすごい 今回最後の全体会でインドの有名な環境保護運動家のバンダナ・シバが講演に訪れ、真っ向からアメリカやイギリスを名指しで批判し、ブラジルからきた教授が、環境教育は政治教育であると断じていた。第7回目にして初めてイスラム教国で開催したのも本会議事務局の強い思いがあって実現した。 主催者発表では会議参加者は1200人。 その中に地元の子どもたちも多く含まれている。 会議には、ノーベル平和...

ゆふいんの森

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  先週久しぶりに大分での通訳案内の仕事が入りました。その行程のなかに数年ぶりの湯布院が入っていたので下見に出かけました。どうせ行くのならちょっと旅行者気分を味わおうと思い、鹿児島中央駅から九州新幹線で久留米まで行き、久大線に乗り換えて「ゆふいんの森」号で湯布院へと向かいました。「いぶたま」も人気ですが、JR九州にはSL人吉とか、隼人の風、いさぶろうしんぺい号、海幸山幸号などいろいろな観光列車があります。いずれもなかなか予約が取れないという話ですが、私は「ゆふいんの森」号の座席を前日に予約することができました。平日だったのでそれが可能だったのでしょう。入口から3,4段ほどの階段を上がったところにあるウッド調の床の座席は確かにおしゃれで眺めが良く、湯布院までの時間を睡眠時間に充てようと思っていたのですが、結局まわりの風景を楽しみながら1時間半ほどの列車の旅を楽しみました。観光列車と普通の特急との違いは、まわりの風景やそれにちなんだ昔話の紹介がけっこうあること、それと乗務員の質の高さでしょう。  私の乗った4号車は一番後ろの車両でしたので、後に流れていく景色を運転席から見ることができました。でも確かずっと前は展望車両があったような記憶が。。。(今回の乗車は2回目です)。以前と大きく異なったのは、車内で聞こえてくるのが中国語と韓国語だったこと。よくよく見渡すと日本人らしき人はチラホラしかいません。乗務員に尋ねると、この列車の乗客の7,8割は台湾か韓国からの客だということでした。湯布院駅に降り立ち、観光案内所で聞いてみるとその数字はさらに上がり、「9割はアジア人」と言っていました。  10年以上前に行ったときに印象深く覚えている湯布院は川面に朝もやがかかりとても風情のあるところということでしたが、あっという間に店が立ち並び、なんだかかわいらしい町に変貌してしまいましたが、2,3年前に行った時とくらべて街並みがさらに変わってしまっていたようでした。私は個人的には以前のほうが好きで、その昔、金鱗湖までゆっくりと歩いたのを懐かしく思い出しながら、韓国人や台湾人であふれかえっている通りを彼らの間を縫うようにしてあわただしく下見を済ませることができました。 山崎美智子 2013.6.5 「ゆふいんの森」号(湯布院駅にて) 後方運転席からの眺め

見えない世界の生物たち

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  海辺を歩くのが好きだ。ただ誰も歩いていない砂浜を色々と空想しながら歩くのは楽しい。岩礁に生息する生き物たちを見ながら、石を除いたらカニ達が驚いて駆け出す。カニ達と追いかけっこをするのもタイドプールの魚たちを観察するのも楽しい。   砂浜を歩く楽しみの一つに、美しい貝殻を探すことがある。大きく殻の欠けていない貝殻を見つけたときは嬉しいものだ。しかし、最近になり多くの人たちから、「貝殻が少なくなった」という話を聞く。多くの人たちが貝殻拾いを趣味にして、私たちが拾いに行く前に採集してしまっているのだろうか。どうやらそうでもないようだ。  多くの貝殻が海水に覆われた海底から運ばれてくる。そこは海の中であるため、私たちには現実にそこで何が起こっているかはわからない。そのため、なぜ貝の数が減ったのかという原因を明確に説明することは難しい。考えられる原因は、例えば、海砂の採集、ダムでせき止められたれ砂が海に流入しないこと、逆に赤土などの流入、海洋汚染、気候変動、移入種による影響などが考えられ、これらにより貝にとっての生息空間が悪化しているのかもしれない。  小さな貝たちも生きていくことに苦労をしている。海を見ながらその見えない海の底で何が起こっているかを想像してみると面白いかもしれない。そして、色々な人が色々な想像すれば見えない世界も身近になり、小さな貝の世界も少しは改善するかもしれない。 河合渓 2013.5.30 打ち上げられた貝殻

薩摩の生物多様性・時間旅行

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  昨年度から鹿児島県の委託を受けて「生物多様性かごしま県地域戦略」策定のための資料収集整理を行っている。中村朋子女史(鹿大教育学部平成7年卒)が担当しているが、三国名勝図会に記載されている動物を、彼女が探し出した明治期の地図に落とした資料は、当時の生物多様性をわかりやすく理解できる資料として、とても好評を得た。今回、半ばパワハラ?で「こぼれ話」を書くようにお願いした。とても楽しい文章になっているので紹介する。「岩田はずるい」と言われるかもしれないがご容赦を。 『三国名勝図会』  昨年度の鹿児島県生物多様性懇談会の資料作成の中で『三国名勝図会』に出会った。江戸時代後期に薩摩藩が編纂した薩摩国,大隅国,及び日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した文書(全60巻)である。特に,神社や寺院についてはその由緒,建物の配置図や外観の挿絵まで詳細に記載され,各地の名所風景を描いた挿絵も多く,当時の薩摩藩領内の様子を知るための貴重な資料となっている。  今回は懇談会の資料作成ため,物産の項目に出てくる各地の飛禽類(鳥),走獣類(動物)について図表にまとめた。現在では見られない動物の名もあり,アシカ・ジュゴン(海獺・海馬)は坊泊,屋久島に表れる。屋久島の巻では「海中より陸に上がりこみ,人家の糠を食うこと多し」と記されている。2012年8月28日に環境省が絶滅種と指定したニホンカワウソは,大隅・北薩の各地,加世田で見られた生き物として表れる(図)。鶴は加世田・鹿児島・国分・串良・高山で見られたとされている。ニホンカワウソが生息できる川の恵み,鶴が過ごせる干潟の恵みがその時代にはあったのだ。同項目には,鱗介類(魚介)も挙げられており,漁業の動力が人・風・波に限られていた時代の海の豊かさを想像することができる。遠洋に出ずとも,沿岸部を回遊しながら,食となる魚たちを得ていたのだろうか,阿久根や大隅の村の物産には,鮪や鰹の名も出てくるのだ。高級魚として知られるアマダイ(方頭魚:クズナ)も錦江湾を中心に各村で獲られていたようだ。  『三国名勝図会』の挿絵を見ていると,江戸後期時代へと時間旅行している気分になれる。馬や籠の行きかう往来,雁の渡る桜島,砂州の広がる錦江湾,朝鮮文化が息づく苗代川,帆船の浮かぶ阿久根浦。『麑海魚譜』,『成形図説』と併せて眺めれば,幕末薩摩の急進的な...

地域おこしと「ものがたり」

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  素晴らしい自然や風景があっても、なかなか人は振り向いてくれません。何かそこに「ものがたり」的要素が無いと、人を引きつけることは難しいという点があります。  沖縄本島の中部に位置するうるま市は、世界遺産の勝連グスクに加え、太平洋側に浮かぶ4つの島が海中道路で結ばれているという素晴らしい観光資源を有する地域ですが、残念ながらこれら優れた要素を結びつける「ものがたり」を欠いていました。  ところが、そこに『伊計島遊草』が出現したのです。『伊計島遊草』は、最近発見されたばかりの琉球人漢詩集です。琉球末期の漢詩人蔡大鼎(1823-84以降)によって、那覇からうるま市の伊計島までの旅の途次、道中の名所旧跡が漢詩30首に詠み込まれています。うるま市内に関するものが20首あり、勝連グスクほか幾つのも名所や島々の風景が印象的に描写されており、まさしく、うるま市が欠いていた「ものがたり」を提供するものとなっています。高津は今、うるま市の依頼を受けて、『伊計島遊草』の全訳を準備しています。2月にはうるま市で一般市民向けの講演も行いました。自分の住み慣れた地域が詩歌に詠まれているということで、勝連地区や伊計島を始め地域の方々にはたいへん好評でした。  高津は、沖縄をフィールドにしてもう20年になりますが、書物を調べる調査なので、沖縄に着くとすぐに薄暗い図書館や博物館に入り、そこで一日中籠もって調査をします。したがって、明るい日中の沖縄を見ることはあまり多くありませんでした。ところが、この機会にうるま市の担当者の方と、蔡大鼎が通った道を、那覇から伊計島まで約50キロ、あらためて旧道や名所を確認しながら回りました。今はもう失われてしまった旧跡や位置の確定できない場所、米軍基地の中にあり入ることの出来ない場所、埋め立てが進んで当時の面影もない場所など、美しい風景とともに150年あまりの沖縄の変化を感じるものでした。 高津孝 2013.4.10 図1. 『伊計島遊草』に詠まれた地点(グーグル地図) 図2. 那覇の中心地にある明倫堂跡地に立つ孔子像。 蔡大鼎は、先祖が中国から来たと伝えられる久米村の出身です。 琉球と中国との外交、貿易関係は、久米村の人々によって支えられていました。 明倫堂は久米村にあった学校で、蔡大鼎もそこで教えていました。 旅の出発点は、蔡大鼎の家のあった久米村です。 図3....

霧島山の春は黄色い花から

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  鹿児島市内のソメイヨシノが散り始める頃、霧島山に遅い春がやってきます。   霧島山には標高1500mを超える火山が連なっています。老若男女が車で手軽に行くことのできる、えびの高原も標高1200mの場所にあります。気温は1000mあたりおよそ6℃低下するので、えびの高原の気温は平地に比べると7℃くらい低いことになります。鹿児島市の年平均気温は18℃ほどなので、単純計算すると、えびの高原の年平均気温は11℃になります。実際には日照の関係もあって10℃前後であることがわかっています。   平地で年平均気温が10℃前後の場所はというと、岩手県盛岡市や宮古市、青森県青森市などがそれに相当します。つまり、霧島山の山頂部は、気温だけなら、東北北部から北海道南部と同じ環境と言えるわけです。したがって、霧島山の標高700-800mより高いところでは東北地方の平野部で見られるような植物が多数見られることになります。もっとも、植物の生育には気温だけでなく、降水量や降水の時期、日照量なども関係してくるので、その植生は完全に一致するわけではありません。  これらの植物は氷期の生き残りです。寒い時代に北の地方から南下してきたものの、最近2万年くらいの温暖化の際に北上せずに高いところに逃げこんだものなのです。霧島山における植生の垂直分布は氷期(寒い時)と間氷期(暖かい時)の名残と言えるのです。  さて、その霧島山に春の訪れを告げる花はマンサク(写真1)です。マンサクが多い大浪池の周辺には、その時期になると毎年多くの登山客が訪れます。マンサクも氷期の生き残りで、その自生南限は大隅半島の高隈山の山頂部とされています。 写真1   マンサクの花(大浪池にて)   霧島山ではマンサクが終わる頃、キリシマミズキ(写真2)やシロモジ(写真3)の花が咲きだします。いずれも黄色い花であることから、「霧島山の花のシーズンは黄色い花で幕を開ける」と言われています。霧島山の花は、4月の後半にはハイノキや天然記念物のノカイドウに代表される白い花へと変わり、そして5月中旬のミヤマキリシマのピンクの花でクライマックスを迎えます。 写真2 キリシマミズキの花(大浪池登山道にて) 写真3 シロモジの花(大浪池登山道にて) 井村隆介 2013.4.8