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全国地球温暖化防止活動推進センター

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  7月1日から職場が変わり新生活のリズムに慣れつつあるところ。  さて、地球温暖化対策推進法が制定されてから17年が過ぎたが、この法律の特徴の一つに地球温暖化防止活動推進員制度がある。住民理解を深める活動や指導助言などを行う。  現在、全国で約6000人(鹿児島県は約500人)が委嘱されている。また、知事等は自治体ごとに地域地球温暖化防止活動推進センターを指定することとなっている。鹿児島県では鹿児島県環境技術協会が指定されており、推進員などの活動支援のほか、日常生活における温室効果ガスの排出抑制に関する相談、助言。排出実態調査及び分析。県が行う対策への協力などを行っている。また、同時に同法には、環境大臣が全国で一か所、全国地球温暖化防止活動推進センター(JCCCA)を指定することとなっており、一般社団法人地球温暖化防止全国ネットが指定されている。私の新たな職場である。   同法人は全国55の地域センターが会員となって設立し今年5年目を迎える。理事5名、監事1名で役員を構成し、事務局は5グループに編成、職員は現在22名。  主な事業を挙げると  ・地域センターが実施する地球温暖化防止活動の技術的支援、指導及び助言  ・地球温暖化対策等に関する調査研究及び情報収集・提供  ・研修会や講演会開催などの普及啓発  ・地域センターにおける活動に関する情報交流の促進 などがある。  ちなみに、地域活動支援・連携促進事業(コンソーシアム事業、環境省)では、全国の地域センターが地域のNPOや関係団体、学校などと連携したCO2排出削減活動等への指導・支援を行っている。また、26年度から始まった家庭エコ診制度の事務局として、制度運営のほか国家資格の家庭エコ診断士資格試験業務を進めている。  今年で6回目を迎える「低炭素杯2016」は、全国のNPO,団体、学校、企業及び自治体が取り組んでいる地球温暖化防止活動のコンテストであり、毎年2月に開催される。年々参加者が増えるとともに、活動の質が向上している。鹿児島県からは、第1回大会(2011.2月)で出水市の六月田下集落の活動が準グランプリを受賞したことは、いまだに多くの人々の記憶に残っている。今年も準備作業が佳境に入っている。  事務所は神田神保町の隣町で三省堂神保町本店まで歩いて7,8分。...

梅雨明けの加計呂麻

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  ようやく奄美地方が梅雨明けを迎えたと思ったら、いきなり台風が3つもできてしまった。7月3日から加計呂麻島で干潟調査を始め、何とか台風接近前に終わらせる事ができたけれど、そろそろ奄美地方も台風の影響を受ける頃。トカラ列島も含めて、梅雨の豪雨に台風の影響が加わるだろうから、土砂災害が心配だ。調査中も、ついに夏本番!のはずが、雨→薄曇り→晴れ→曇り→豪雨と1日のうちに何度も雨に見舞われ、濡れては乾き、また濡れての繰り返しだった。おかげでバテずにすんだけど。  そろそろ一降り来るかな、という予感は、厚い雲と日差しが教えてくれる。鹿島市内でも感じることだが、普段日差しが強いせいか、雨が降るとものすごく暗く感じるのだ。夜が明けたときから雨、しかも強い雨の日は、窓の外がいつまでたっても明るくならない。そしてこの時期の雨は意外と冷たいのである。いろんな意味で調査効率が落ちる。  そんな時に再び日が差した時の喜びはひとしおである。体が乾けば温かくなって、よく動けるようになる。ほ乳類にとって濡れると言うことが、体温の低下、体力の消耗、目に入って邪魔、などなどあらゆる点でマイナスなんだな、と思い知らされる。恵みの雨だが同時に阻害要因でもある。それは他の動物たちにとっても同じこと。雨があがると、蝶が花から花へと飛び回り、濡れたハイビスカスの花が空を仰ぐ。雨上がりの青空と新緑がおだやかに夏の訪れを告げ、耳には心地よい程度のセミの鳴き声。う〜ん、良い季節だ。 山本智子 2015.7.10 雨上がりに食事中 かなり接近を許してくれる 加計呂麻島にて 雨上がりのハイビスカス 加計呂麻島薩川にて

杏雨書屋訪問記

  3月末に、大阪の杏雨書屋に江戸時代の博物学の本を調査に行きました。杏雨書屋は、武田薬品工業株式会社からの寄付をもとに創設された武田科学振興財団によって運営されている私立の図書館です。大阪市内の中心部船場(せんば)の北に位置する道修町(どしょうまち)にあります。道修町は、薬種問屋の集中する地域で、現在では著名な医薬品会社の本社ビルが立ち並ぶ地域になっています。道修町には少彦名神社という小さな神社があり、医薬の神さま「神農さん」が祀られています。11月23日が祭礼の日で、道修町の大手医薬品会社の社長さん達が勢揃いしてお参りをします。大阪では「神農さん」のお祭りがあると年末に入ったなと言う気分になります。  杏雨書屋は、武田薬品を設立した五代目武田長兵衛の収集した日本及び中国の医学、薬学関係の書物を基礎としています。日本を代表する医学、薬学書の専門図書館です。「杏雨」は「杏花雨」の略で、薄紅色の杏(アンズ、カラモモ)の花の咲く清明節(4月7日前後)に降る雨を指します。杏は、三国呉の名医である董奉が、治療費を取らない代わりに、病気が治った者に杏の苗を植えて貰い、鬱蒼とした林になった(杏林)、という故事に基づき、名医を象徴しています。  拝見したのは、「中山花木図」4点(写真複製)で、その内の1点が薩摩の著名な画家である木村探元(きむらたんげん)の真筆になります。写本が多く、系統が複雑なので、主要な写本を一覧できる良い機会でした。また、島津重豪に仕えた博物学者曾槃(そうはん)のここにしか所蔵されていない著作や奄美の植物を多く収める「琉球産物志」の写本も拝見しました。  企業秘密の多い医薬品会社ならではの厳重なセキュリティ体制がとられています。まず、武田薬品の警備員受付でアポイントのあることを伝え、氏名、所属、入館時間を記入して、入館証を受領します。次に、別棟の杏雨書屋の1階で入館証を機械にかざしてエレベータを呼び二階へ、二階の杏雨書屋受付に入るため、再度入館証を機械にかざして入室、要件を伝え、今度は、杏雨書屋専用の入館証に交換して閲覧室に案内されます。閲覧室で、パソコンを使って閲覧希望図書を申し込み、しばらく待機していると本を係の方が持参してくれます。本の返却に当たっては、パソコンで係の方を呼び出します。帰るときも、同じ手順の繰り返しです。日本最大の図書館である国...

氷河期の黒潮

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  1月末から続いた卒論修論の発表会シーズンも終わり、卒業判定と来年度に向けた準備の時期である。うちの研究室には、毎年この時期にサンタクロースが降臨することになっている。研究費の追加配分(!)があるのだ。東北や北海道では吹雪が伝えられるこの時期だが、南の島では海岸調査にもってこいの条件となる。暑からず、日差し強からず、人(観光客)多からず。そして潮の満ち干きもちょうど良い。日本近海では、新月と満月の1ヶ月に2回の大潮があり、1日の干満差、つまり満潮と干潮の差が大きくなる。大潮時の干潮はおおよそ正午と真夜中だが、1日2回、同じように潮が引くとは限らない。10月から1月頃まで、夜間の干潮は大きいが、昼間はそれほど引いてくれない。干潮時に歩いて行けるお手軽な生態系を調査対象としているので、この時期は調査をあきらめるか夜中に出て行くしかないのだが、2月中旬も過ぎると、そろそろ昼間でも調査ができるようになる。  毎年この時期は、次の卒論生のための予備調査、島巡りと決めている。今年は奄美大島北部と加計呂麻。加計呂麻で海を見ながら、黒潮について考えた。氷河期に黒潮がどう流れていたのかをシミュレーションで解析したという卒論を思い出したのだ。私たち生物屋は、奄美群島を含む琉球列島の生物多様性とその固有性をもたらす理由について、「地史的スケールで大陸との結合や分断を繰り返した」「黒潮がもたらす暖かくしめった気候が生物生産性を高めている」といった説明をするのだが、よく考えたら、黒潮の流れはいつもおなじではない。何しろ、氷河期には海水面が下がって対馬海峡は陸地であり、日本海は湖だったらしいのだから。最近の研究では、多少は海峡が残っていたとする説が主流らしいが、どちらにしても、対馬暖流は行き場を失っていたことになる。その分すごい勢いで四国沖を流れてたりして・・・そして、台湾から西表、石垣とつらなる島々が陸橋化していたとしたら、黒潮本流もまた、その西側には入り込みにくかったに違いない。奄美大島西岸は随分とと水温が低かったんではなかろうか?  地史学的時間スケールでみれば、自然は片時もとどまっていない。そういえば、400万年前の琵琶湖は三重県にあり(大山田湖)、徐々に北上してきたそうだ。古琵琶湖と呼ぶそうだが、それを琵琶湖と呼んで良いのだろうか?錦江湾も成立当初は淡水だったと言われている...

日本一長い村を駆け下る ~ トカラ列島島めぐりマラソン大会

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 去る10月25日(土)から26日(日)に開催された,十島村の「トカラ列島島めぐりマラソン大会」にボランティア・スタッフとして久しぶりに参加させてもらった。  十島村と言えば,最も北の口之島(くちのしま)から最も南の宝島(たからじま)まで,人が住んでいる地域だけでも南北約130キロにも及ぶ「日本一長い村」-。   島めぐりマラソン大会は,この7つの島々を定期船で巡りながら,それぞれの島に設定されたマラソンコース,延べ約29キロを1日で走破するユニークなマラソン大会で,平成19年の初開催から数えて今回が8回目。台風で中止された3回の大会を除くと,実質5回目の開催となった。  今回の大会の参加者は,申込総数200名の中から厳正な抽選で選ばれた119名で,北は宮城県,南は沖縄県から参加された方々だった。  参加者は,10月24日(金)の23時に村営定期船「フェリーとしま」で鹿児島港を出発。  1番目の口之島にまだ夜も明けきらぬ朝の5時過ぎに到着し,6時からの開会式の後,まずはじめに1人で全島を走破する「島めぐりマラソン」参加者,続いて,複数の人数で島ごとにリレー方式で走破する「島めぐりリレー」参加者の順で次々にスタートしていった。 出港前に「フェリーとしま」の前で行われた参加者説明会の様子 まだ夜も明けきらぬ口之島 西之浜漁港の様子 口之島西之浜漁港の防波堤に描かれた「北緯30度の島」の 文字 1番目の島,口之島をそろってスタートしていく「島めぐりマラソン」参加者 口之島を1位でゴールする「島めぐり マラソン」参加者。 東京都豊島区の公務員であるこの方が全ての島を1位でゴールし, 今大会の 優勝をさらった!! 口之島の全景  口之島は,北緯30度線上に位置し,太平洋戦争後,この島から南は一時米軍統治下に置かれた。    このことにより,現在の三島村の3島(①竹島,②硫黄島,③黒島)と7島(④口之島,⑤中之島,⑥平島,⑦諏訪之瀬島,⑧悪石島,⑨小宝島・宝島[当時は,小宝島は宝島の属島で,2つで1島と見なされていた。],⑩臥蛇島[1970年7月,全島民移住により無人島化])で構成されていた十島村(じっとうそん)は分断され,三島村と十島村の2つの行政体に分かれることとなった。    口之島の次は,7島の中で最も大きな中之島(なかのしま)。ここは,我が...

香港学会

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 12月17-18日に香港浸會大學 Hong Kong Baptist Universityで開催された「中國詩學研究前沿國際論壇:Leading Scholarship on Chinese Poetics: An International Symposium」に参加してきました。前回、香港を訪れたのが、中国返還前の1987年ですから、27年ぶりの香港です。香港浸会大学は、ミッション系の大学で、香港大学に次ぐ歴史を有しています。場所は、九龍半島の中程で、高級住宅地に位置しています。海への眺望は開けていませんが、山を背に斜面に校舎が配置され、狭いキャンパスが合理的に配置されています。香港は元イギリスの植民地ですが、この大学はアメリカ系です。 図版1 香港浸会大学・行政楼  宿泊は大学内の呉多泰博士国際センターで、部屋は11階(イギリス式。実際は12階)でした。写真は、南向きの窓からの夕方の眺望です。左手の山が香港島のピークで、その手前に、現在香港で一番高いICCビル(環球貿易広場、118階、484m)が見えます。  手前の空色の宿舎群は、中国人民解放軍の施設「九龍東軍営」で、学生運動が始まって以降は、開放していた門を閉鎖したそうです。 図版2 ホテルの窓から  学生運動は当局の取り締まりで、すでに収束しており、街中も、大学内も静かでした。写真は、学生運動の名残です。 図版3 学生運動の名残  学会終了後、エクスカーションで、香港の西端、ランタオ島の大澳(タイオ)という漁村へ連れて行ってもらいました。水上生活者(タンミン)の住居が残されており、古い漁港としての香港の姿を残す地域です。  高津孝 2014.12.24 図版4 大澳の水上住居 図版5 大澳の商店街

鹿児島に秋はあるか?

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  鹿児島には「秋」がない。鹿大にきて十数年、感じ続けていることである。「春」は確かにある。桜が咲くから。東京大阪より開花が遅いこともあり、四月、常夏の国から降り立つ留学生達を桜が迎えてくれる。しかし、とにかく「秋」がない。11月中旬の大学祭まで、学生はビーチサンダルに半袖Tシャツ、酔っ払った勢いで寝てしまっても、風邪を引くことはあっても凍死することはない^^;なのに12月上旬に街ゆく人達は、コート姿である。  そういえば、鹿大での最初の勤務地長島には「秋」があったような気がする。それまでの人生で一番積雪に見舞われたのも長島であった。何で鹿児島に来て雪に降られにゃならんのか?と思って空を見上げれば、どよ〜んと曇り空。これは、関西では日本海側の冬の天気である。瀬戸内側が空っ風吹く晴天(これはこれで寒々しいのだが)であるのに対して、あつ〜い雲に覆われ、海は荒れ気味。「ナルホド。東シナ海って、結局日本海の南の端なのね」と納得した。北薩地方に「秋」があるのは、単純に景観の問題、つまり、紅葉がみられるか、落葉樹か常緑樹かという問題だろうと思う。樹木の分布は気温で決まる部分が大きいだろうから、それだけ気温が違うのだろう。  ところが、今年は鹿児島にも「秋」が来たような気がするのだ。10月に一度気温が下がり、11月上旬まで本当に寒かった。急に秋服が必要になったりして・・・その後、再び気温は上昇、夏日まで出る始末。今日も学生達は半袖Tシャツである^^; 生活の中で感じるこういう変化がデータとして残るのか、ちょっと調べてみた。つまり、 ・北薩と鹿児島市内では秋の気温が違う ・今年は昨年と秋の気温変化が違う と言う状況が、気象庁の気温データで読み取れるかどうかである。 図1 西日本各地における日平均気温の月平均(2011年):気象庁HP  図1は日平均気温を月ごとに平均した値の季節変化を見たもの。紅葉が有名な京都を比較対象にしてみた。欠損値がない年を探していたら、2011年までさかのぼることになってしまった。紫の鹿児島と緑の阿久根で違うところと言えば、9月から10月の気温の落ち込みだろうか。夏の気温というのは、名瀬も京都もあまり変わりが無く、阿久根など京都や熊本より涼しいぐらいだ。9月の気温も比較的似通っているが、10月の平均気温が20度を下回るかどうかが大きな違いだろう。  ...