道なき道を行く「心岳寺詣り」

 皆さんは,「鹿児島の三大詣り」をご存じだろうか?

 1つは島津忠良の菩提寺に詣る加世田日新寺詣り。もう1つは島津義弘の菩提寺に詣る妙円寺詣り。そして,3つ目は島津歳久の菩提寺に詣る心岳寺詣りである。しかし,「お詣り」とは言っても,実際は,夜を徹して,決められた時間内に長距離を徒歩で移動する軍事教練的な意味合いが強かったらしい。

 このうち妙円寺詣りが最も有名で,私も小学生と高校生の時に経験したが,昨年11月23日に,鹿児島市吉野地区のNPO法人「地域サポートよしのねぎぼうず」等が主催する心岳寺詣りに初めて参加させていただいた。

寺山公園展望台から錦江湾と桜島を望む。
改めて鹿児島の大自然に惚れ直す。

 島津歳久は,第15代薩摩国守護職島津貴久の三男で,義久,義弘の弟。

 第16代当主の義久は豊臣秀吉の九州征伐で降伏したが,歳久は秀吉に対する反抗的な態度をやめなかった。これを不服とした秀吉は,1592年(天正20年)6月に勃発した梅北国兼の乱の首謀者を証拠の有無を問わず歳久であると決めつけ,義久に歳久の首を献上するよう命じ,歳久は磯街道の平松で自刃。義久が歳久を供養するために建てたのが心岳寺で,廃仏毀釈で1870年(明治3年)に寺号を廃し,現在の平松神社となった。

 心岳寺詣りは,戦前まで,歳久の命日である7月18日に行われていたが,今回,私が参加させていただいたのは,戦後,廃れていたこの行事を同NPO法人等が7年ほど前から復元させたもの。

 当日の参加者数は約100名で,開会式の後,9時20分に寺山ふれあい公園を出発。約25分をかけて心岳寺参りの実質的なスタート地点に到着。そこに設置された鐘を叩き,道中の無事を祈った後,昨年10月の別のイベントの際にちらりとのぞいたときには,草や葛が生い茂り,全く道の体をなしていなかった山道に突入し,いよいよ吉野の山から竜ヶ水までの心岳寺詣りのスタートとなった。

心岳寺詣りのスタート地点に設置された鐘など。
ここからいよいよ急峻な山道に突入する。

 このお詣りコースは,生い茂る木々がなければ,目がくらんでとても降りられないであろうと思われるような急峻な山道を下るもので,私が今までの人生の中で経験したことのなかったようなコース。それに加えて,前日降った雨の影響で,足下は滑り,NPO法人等の皆さんがロープを張ったり,アシストに立ったりしていただいているにもかかわらず,足を滑らせた参加者の悲鳴がここかしこから聞こえるエキサイティングな展開となった。最後は,傾斜角50度を超えるような斜面を縄ばしごで恐る恐る降り,他の参加者の皆さんといっしょに約1時間15分に渡る難コースを踏破した。

崖の方に傾斜しているので,歩くのにかなり気を遣う。

段差の大きいところでは,たちまち渋滞。慎重に,慎重に…

NPO法人等の皆さんが張ってくれたロープを頼りにそろりそろりと足を進める。

この写真で,山道の急峻さがわかっていただけるだろうか?

この日いちばんの難所!縄ばしごを伝って小川に降りる。
 

 平松神社到着後は,お詣りをすませた後,薩摩琵琶の演奏や吉野地区の子どもたちによる大石兵六夢物語の手づくり紙芝居の上演など盛りだくさんのプログラムを楽しみ,また,手づくり弁当を味わい,生まれ育った鹿児島にいにしえから伝わる行事を満喫させていただいた。

島津歳久を祀った平松神社。
中央が歳久,右奥が歳久といっしょに自刃した27人の墓石。

島津歳久の墓石

吉野地区の子どもたちによる大石兵六夢物語の紙芝居。 この手づくり感が何とも言えずステキだ。


平松神社本堂前での薩摩琵琶の演奏。薩摩の伝統的な音色が心に響く~♪

 例年,11月下旬に開催されている心岳寺詣り-。

 皆さんも,私のふるさと鹿児島のエキサイティングな伝統行事に一度参加されてみてはいかがだろうか。


境内に設置された水溜め。他では見たことのない形状。

同じく境内にあった仏像。廃仏毀釈により切断された頭部が痛々しい。

石彫りの龍も他では見たことのないような精緻なもので, 当時の心岳寺の格の高さを伺わせる。

錦江湾に向かって立つ石像。文字で表現すると,「エッヘン」!?

有村智明 2013.1.10