リメンバー・パールハーバーのその後

   12⽉7⽇(⽇本時間では8⽇)は真珠湾攻撃の記念⽇である。真珠湾攻撃は太平洋戦争開戦の刻印として重⼤な歴史的事件だが、それに先⽴ち攻撃に参加したパイロットたちが⿅児島湾(錦江湾)で事前に演習を⾏っていたという事実は、地元でもそれほど知られたことではないだろう。『⿅児島環境学Ⅲ』にも書いたが、戦争とは当事国同⼠の戦いであるとともに、それぞれの⾃然条件に対する挑戦でもあり、別の側⾯からいえば、⼈間の科学技術の進展による環境破壊でもある。ハワイ学者のジョナサン・オソリオ⽒によれば、真珠湾は⽶国の軍事拠点となる以前は、ハワイの先住⺠にとって⼤切な豊かな漁場だったという。

  71年⽬に当たる今年の同⽇早朝、⽇本から訪問中の研究仲間とともに、真珠湾のアリゾナメモリアル(戦艦アリゾナの記念施設)を望む場所で⾏われた記念式典に参列した。⽣存者の数も年々少なくなっているなかで、式典では戦争世代、現在の現役世代、将来を担う⼦供たちという三世代がともに真珠湾攻撃を記憶し、記念するというかたちを強調するような演出が施されていた。

式典会場から望むアリゾナメモリアル


 ただし、記憶・記念といっても、戦時中のように対戦国⽇本への敵意を⾼揚させるための「真珠湾を忘れるな(リメンバー・パールハーバー)」というスローガンではなく、むしろ恩讐を超えた友情を構築してきたその後の歴史が強調されていた。そこには、もちろん国家間の同盟関係が念頭に置かれてもいるのだろうが、それ以上に、1991年50周年の式典以来その⽣涯にわたって育まれた故阿部善次⽒と故リチャード・フィスク⽒の間の友情に象徴されるように、⽣存者同⼠の和解にむけたこれまでの真摯な取り組みに対する敬意が、多くの⼈の⼝から聞かれた。

 そのひとりジェローム・A・カウフマン⽒は、今も1177名の犠牲者とともに真珠湾に眠る戦艦アリゾナから少しずつ漏れ出しているオイルが⽔⾯に描き出す表情を写真に納め、今年『再⽣―⿊い涙の地で』というタイトルの写真集を今年出版した(http://imagesofrenewal.com/)。カウフマンさんはその写真集の中でも、阿部さんとフィスクさんの友情について取り上げているが、⼆⼈がアリゾナメモリアルの追悼空間で握⼿している写真を載せたページを私に⾒せながら、批判も覚悟の上で和解のために再度真珠湾に訪れた阿部さんのことを「⾃分のヒーローだ」と語ってくれたのが印象的だった。会場には、阿部さんが2007年に亡くなった後も、その意志を引き継いで毎年訪問されている娘さん夫妻の姿もあった。その後訪れた、パールリッジ⼩学校では、国⽴公園局のレンジャーが⼆⼈の友情を物語にした絵本の読み聞かせを⾏なっていた。

ジェローム・カウフマン⽒(左側。右は筆者の研究仲間の粟津賢太⽒)

読み聞かせを⾏なうレンジャー(右側)と、 真珠湾攻撃⽣存者のスターリン・コール⽒(中央)

 今回の⼀連の⾏事では、時間を越えて記憶し、語り継ごうという努⼒のなかに、それをより良いものにしていきたいという思いの強さを感じた。もちろん、その裏にはきれいごとでは済まないさまざまな葛藤が存在しているのも事実だが、別の⼈が語ってくれたように、それを解決するのもまた時間である。けっしてたやすいことではないが、⿅児島でも、また別の場所でも実践していきたいことである。

 ⻄村明 2012.12.17