碇石(いかりいし)調査

  碇石(いかりいし)というものをご存じでしょうか。船の碇に鉄が使用され始めたのは15世紀と言われ、東アジアではそれ以前、船の碇は石を利用していました。特に10世紀から14世紀にかけて、東シナ海の交易を担っていた宋元時代の中国船の石製碇は、大きなものは3メートルを超える巨大な石材を左右対称の角柱型に成形したもので、奄美大島では、なんと9本も確認されているのです。日本で発見された碇石は、北部九州、山口から沖縄本島にかけて70余本(一石型)ですから、1割以上が奄美大島にあることになります。

 高津は、いま、大木公彦先生(鹿児島大学名誉教授、元鹿児島大学総合研究博物館長、岩石学)、橋口亘さん(南さつま市教育委員会、坊津歴史資料センター輝津館学芸員、考古学)と一緒に碇石の石材調査を行っています。すでに九州各地から沖縄まで40本の調査を終えました。

 奄美大島へは、2002年2月に調査に行きました。松 本信光さん(奄美市奄美博物館、考古学)の協力を得ての調査です。最初に調査したのが、奄美市立屋仁小学校校庭でベンチに転用されているもので、全長148㎝の花崗岩製です。子供たちが毎日座って居るのでしょうか、座席に当たる部分が磨いたようにつるつるになっています。

奄美市立屋仁小学校校庭でベンチに転用

 次は、奄美市立赤木名中学校裏にある赤木名観音寺跡(1675年創建、1819年移転)にある観音寺開山記念碑で、碇石を石碑として転用したものです。長さは110㎝のアルコース製です。アルコース(arkose)とは、花崗岩が風化・侵食作用を受け分解した後に二次堆積したもので、見た目は花崗岩そっくりで、素人には判別がつきません。高津はこの時初めてアルコースを見ました。

赤木名観音寺跡・観音寺開山記念碑

 龍郷町中央公民館の中庭に置いてある碇石も、全長200㎝のアルコース製でした。
龍郷町中央公民館の中庭にて


 奄美市立奄美博物館に展示されているものは、全長225cmの凝灰岩製です。もとは電柱に転用されていたものです。

奄美市立博物館に展示

 次は、旧名瀬市の個人が所有されている物で、庭の花壇の縁石になっています。全長326㎝の藤色の凝灰質砂岩製で、中国浙江省寧波市の近郊で取れた石材と認定可能です。寧波船が奄美大島にやって来たことを示すものとなっています。

庭の花壇の縁石として個人が所有
 

 奄美市住用町山間の奄美アイランドにて野外展示されているものは、巨大です。全長300㎝の花崗岩製で、日本国内で重量最大の碇石と推定されています。

奄美アイランドにて野外展示

 宇検村生涯学習センター「元気の出る館」で展示されているものは、以前は宇検集落の碇家に置かれていたもので、全長282㎝の凝灰岩製です。
宇検村生涯学習センター「元気の出る館」にて展示

 宇検公民館の池の橋として設置されているものも、以前は宇検集落の碇家に置かれていたもので、全長309㎝の凝灰岩製です。中央部分に既にひびが入っており、橋としては危険です。左が大木先生です。
宇検公民館の池の橋として設置


 宇検村立田検小学校の裏にある集落管理の井戸の井桁に転用されているもので、冠水しているため、石材の確認はできませんでした。信仰の対象となっているもので、それ以上の調査は控えました。復元すれば、全長110㎝と推定されています。
宇検村立田検小学校裏・井戸の井桁に転用

 碇石の存在は、何らかの水難によって碇石がそこに残されたことを予想させますが、それは、その前提として中国の交易船が頻繁に往来していたことを意味します。碇石は、奄美大島が過去、中国との重要な交易地点であったことを示す重要な歴史的遺物となっているのです。  碇石の石材調査は、船の戸籍調べに通じます。中国のどの地点の石材を使用していたかが分かれば、船の建造地が在る程度推定可能になるのです。奄美大島の碇石石材は実に多様で、中国南西部の様々な港から船がやって来ていたことが考えられます。今後の研究の進展が楽しみです。(写真は転載禁止)
高津孝 2012.7.23