リオ+20 国連会議

  通称、リオ+20(リオ・プラス・トゥエンティ)の「国連・持続可能な開発に関する国際会議」に参加してきた。リオは、ブラジルで二番目に人口の多い都市、リオ・デ・ジャネイロの略称であり、20は、1992年から数えて20年目の意味。地球サミットの名で親しまれた「環境と開発に関する世界首脳会議」が、ちょうど20年前に同じ“リオ”を会場に開催された。

リオの中心市街地周辺。 高層ビルに囲まれ、昔の面影がわずかに残る風景だと 20年前を知る日本人記者は語っていた


 1992年の“リオ” では、地球温暖化にかかわる「気候変動枠組条約」と「生物多様性条約」が調印された。ときは冷戦終結の直後、世界の平和への機運が一気に高まり、画期的な国際ルールづくりが進んだ記念すべき会議だった。リオ・プロセスといって、世界の首脳級があつまる会議に、政府代表団の人員に劣らない、もしくは、それ以上の数の非政府組織(NGO)関係者の参加が、正式に認められるようになったのもこの会議からだ。

公式会場にある、野球場の大きさほどのフードコート(食事広場)には、
本会議の様子を映す大画面が設けられていた

  2012年の“リオ”では、6月13日から22日の9日間の日程に、191ヶ国29,373人が集まった(+さらに692人の現地ボランティア!)。このうち政府関係者は、全体の4割の12,250人、残りは、NGOやマスメディアの関係者である。会期中、最後の3日間に行われた首脳級の会議のほか、公式なサイドイベントは498種類、公式会場の外で行われた自発的なイベントは713種類。

 いったいそんなに人が集まって何をするのだろう、と疑問に思うのは、「冷戦」を知らない平成生まれの我が学生たちだ。

 3万人近い数の代弁は到底できない。だが、一つ言えることは、最後に採択された「The Future We Want」(我々が求める未来)の成果文書をめぐり、政府代表団は当然ながら、大小さまざまなNGOが、ロビー活動(政治家や官僚に対する働きかけ)を行い、少しでも「我が主張」が通るように、ギリギリまでしのぎを削る。その過程を中心に会議は進行するということだ。

公式会場から車で70分、ピープルズ・サミットと呼ばれる第二の会場では、
先住民の権利を謳うデモや露天、各種会合など、市民の祭典と呼ぶにふさわしい


 もちろん膨大な約束ごとを数日間で合意できるはずもなく、準備は水面下(といっても公式にだが)で着々と1年以上前から進められている。国連レベルはもちろんのことだが、NGOだって着々と。日本のNGOは、組織も人の数もまだまだ少ない。しかし、頑張っている姿をずいぶん見かけた。

 続きを知りたい方がおられたら、まずは下記のURLを訪ねてみることをお勧めしたい。わたしの見聞録は、またの機会にでも。

日本のNGO情報   特定非営利活動法人 国際協力NGOセンター(JANIC) https://www.janic.org/ 

日本の政府(外務省)の情報 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/rio_p20/gaiyo.html


公式会場に日本のNGO(メリー・プロジェクト)が展示した
福島の子どもたちの笑顔とメッセージ。
記念撮影をする会議参加者の姿が目立った。

小栗有子 2012.7.2